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水石を観て瞑想する [水石]

盆栽に関する月刊誌『近代盆栽』には、毎号水石に関しても数頁が割かれている。

当地の水石会に所属している友人から、2年前三重県の御浜海岸石を幾つか頂いた。同氏からは「水石の鑑賞だけでなく、探石にも行きませんか?」と誘われていた。高齢の上に腰痛があり、掘って探し歩く体力はないのでお断りしている。

水石は水盤に載せたり、台座を木彫りで作ったりして飾るらしい。そして「銘」をつけて想いを記したりすることもあるようだ。
昨年のことであるが、集中作業である台座の木彫りは腰に悪く、できるはずもないので、100円ショップにある木粘土で、頂いたすべての御浜海岸石の台座を作った。出来栄えは別にして粘土作業と着色作業ならばできた。

今年は、心を鎮めてよく鑑賞し石の表情から、瞑想して銘を付けてみた。直接的な銘は好ましくないらしいので、頭の体操にもなっているようにも思う。

↓ 「晩秋」
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水面に近い芒のような風景に暮れ行く秋を想い浮かべています。

↓ 「喜び」
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猿が喜んで跳びはねているようにしか観えないので、「喜び」と。

↓ 「怒り」
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噴煙は山の怒りなのだろう、怒りを抑える歳になっているのだが未だ・・・。

↓ 「駱駝」
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夕暮れの砂丘を左から右へゆっくり歩く駱駝の光景が観えてきた。

↓ 「迷い」
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どうも人の額のように見えて仕方ない、ほんわり山の向こうにある集落を想い浮かべたいのだが。


一般社団法人全日本愛石協会 顧問 渡辺浩氣氏の【水石講座「愛石誌」に連載『身近で楽しむ水石』】によると、同氏の御浜海岸石の鑑賞例として「その文様から山容に注視(凝視)した鑑賞の仕方と、山際の大空に注視(凝視)した鑑賞の仕方の、二通りの鑑賞法がありますが、双方それぞれにイメージする景観や情景・感興も異なり、鑑賞領域もひろがります。」とある。
同氏の鑑賞眼から湧き上がる格調高い文章に触れると、稚拙な想像力と表現力でしかないが、一時にしろ雑念を払い集中することはできた。

なお、渡辺氏の水石講座からすると、木粘土で作った台座の大きさは石との調和において大きすぎるということになろう。また、石を目立たせようと赤布を敷いたり白木の卓を利用したが、いずれも石との調和がとれず不適ということになる。

↓ 「・・・」
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どのように鑑賞するのか、もっと時間が必要のようである。


新聞にあったのだが「瞑想」することにより、今その瞬間に集中し、緊張状態を和らげることができる。それが主観的幸福度を上げて、平均寿命まで延ばすという考え方が最近注目されているらしい。


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