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名古屋市守山区大森 [だるま広報]

4月29日、今日も外出は畑の水やりと食品の買い出しのみ。

昨日の早朝、畑にいたとき家人さんからのスマホが鳴った。救急車が走っているので、もしかして私ではないかとの安否確認であった。私が見たのは消防車だったのだが。
今日、買い出しから戻った時、お隣さんからお知らせがあった。すぐ近くの若い奥様が突然死されたものだったようだ。4,5日前、ご夫婦とお子さん2人とフレンチブルドッグで散歩されているところを見かけて挨拶したばかりだった。ワンちゃんは以前写真を撮ってあげて、発行されたその本を差し上げたこともあった。余計なことかもしれないが、今後どうされるのかちょっと心配。


先日アップした小品イチョウの新芽、イチョウの葉形がしっかりしてきた。
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花台(白樺の木だったと思う)の焼き印、読めますかな?


昨日の就床前のこと、だるまさんからメールが届いているのに気づいた。1400字あまりの文が2本添付されていた。やっぱりコロナで外へ出られず、綴ったもののようだ。
名古屋市守山区大森あたりは、学生時代しょっちゅう通っていたので懐かしい。しかし、こんなにも由緒あるお寺があるとは全くも知らなかったし、若かったので興味もなかったのだろう。
あ、東谷六兵衛さんはだるまさんのペネーム、達磨さんやだるまさんとの使い分けは何なのだろうとふと思う。


   守山そぞろ歩き⑴ 大森篇
      『義経千本桜 狐忠信』ゆかりの法輪寺

                     東谷山六兵衛

 瀬戸街道の八剱交差点から少し北に入ったところに法輪寺の大屋根が見える。
 この辺りでは美味いと評判の「知多海」という料理屋の角を西に入ったところに山門があり、周りは民家が立ち並んでいる。比較的新しいつくりの山門の入口には「山門禁葷酒」と、刻まれた石柱が建てられている。酔っ払いと軍隊は立ち入るべからず、という意味なのだろうか。酔っ払いはともかく、葷も入るべからずとは、この寺の矜持が感じられる。
 そのすぐ右手奥に西国三十三か所由来の三十三の観音菩薩石像が鎮座まして、優しく微笑みかけて私を出迎えてくれている。
 山門前に掲げられている法輪寺由緒によるとこの寺の創建は貞観二年(八六〇)にまで遡るという。平安時代初期である。山門には「佛日山」という山号の額が掲げられている。
 山門をくぐると正面に本堂、右手には「ほうりん聖観世音」と書かれた高さ五メートル程の観音様が聳え立っている。
 私の関心のあった佐藤嗣信・忠信兄弟とその母堂の墓は山門を入って左側にあった。母を真ん中にして右手に嗣信、左手に忠信の小さな供養塔がひっそりと佇んでいる。
 佐藤嗣信・忠信兄弟とは源義経が頼朝の平家討伐の挙兵を知って、奥州平泉から馳せ参じた時、奥州の藤原秀衡が武蔵坊弁慶とともに義経に従わせた奥州きっての荒武者である。
 供養塔傍らの説明によれば義経の身代わりになって兄嗣信は屋島で、弟忠信は京都で戦死したと刻まれている。従者が二人の戦死を母に伝えるために奥州に向かう途中、正宗庵(法輪寺の旧名、当時はここより南の元郷にあった)という尼寺で病気療養中の母に偶然出会い、遺骨と遺髪を渡した。母は痛く悲しみこの正宗庵に懇ろに弔った。村人たちの悲しみも深く、次の年の正月に門松を立てるのを止めた。以後大森では正月に門松を立てない風習になったと語り伝えられている。
『義経千本桜』とは人形浄瑠璃、歌舞伎の演目の一つで義経の吉野への都落ちと実は生き延びていた平家の落人たちの悲劇を描いたストーリーである。この佐藤忠信は『義経千本桜 道行初音旅 吉野山』に義経に命ぜられ、静御前を守る役柄として登場する。
 しかし静御前を守る忠信、実は狐の化身である。静御前の持つ「初音の鼓」はこの子狐の両親の皮で作られたものであり、この子狐は愛おしい両親につれ添いたくて静御前を守っていたのである。次の段『河連法眼館』では本物の忠信から静御前の打つ鼓に合わせて狐(源九郎狐)に変身し、早変わり、欄干渡りなどこの歌舞伎で一番の見せ場となっている。この子狐の親子の情の深さにほだされた義経より忠信に成り代わっていたことを許され、初音の鼓を与えられる。その恩に報いて忠信とともに押し寄せる敵と大立ち回りを演じ義経の危機を救う、という幕切れである。
 義経は狐の世界でさえ肉親の情があるのに兄弟同士で殺し合う人間の世界に無常を感じていたのであろう。
 話は少しそれたが、歌舞伎の『義経千本桜』の華やかさとは似つかわしくないこの大森の地にひっそりと佐藤兄弟と母堂の菩提が弔われている寺を発見できたのはそぞろ歩きのおかげである。
 大森は古い寺社仏閣の多い街である。
 そぞろ歩きもまんざら悪いものではない。
 母親に寄り添うように建つ三つの供養塔に手を合わせた。「コン」というかすかな鳴き声を聞いたのは空耳だったのだろうか。
                     (縦書き原稿なので数字は漢数字になっています)

瀬戸街道とは、名古屋市東区から守山区、尾張旭市を経由して瀬戸物と将棋の藤井聡太さんで有名な瀬戸市を結ぶ通称で、県道61号線。
約45年前、吉川英治の『新平家物語』を1年かけて読んだのだが、もちろん義経は登場していた。佐藤嗣信・忠信兄弟については定かなか記憶がないので今夜就寝前に辿ってみよう。いずれにしてもこのような歴史上の人物に関してこんなにも身近な所にあったのかと、今頃に知った。
長く生きるということは、こういうこともあるのでもっと生きねばと思う一方、コロナが終息したらぜひ法輪寺で手を合わせようと思う。
やっぱり桜の季節がいいのかな。



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ツルウメモドキ [植物]

4月28日、今日の外出は早朝の畑でオクラ2本を植えただけ。
このところ風が強く、どうも気になってしかたがないので小庭に植えたばかりの枝垂れ桃とソヨゴに杉の支柱(100円ショップの品)を咬ませて補強。


自作の中で気に入っているこの鉢に、ツルウメモドキを植えてからまだ1度も実をつけてくれない。
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いっぱいの蕾の中に一つ咲いた約3㎜の花。

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ところが約1.5㎜の蕾にはアブラムシが早くもついている。
問題はこれだなと、消毒を済ます。

今後もこまめに経過を観察しながら育てないと実は見られないようだ。
まるでコロナ対策のように油断はできない。


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ご褒美 [日記・雑感]

4月27日、3日ぶりの早朝の畑行き、豆類に水をあげないとまずいと思って出かけた。
これまで採っていたタマネギは早生品種だったのだが、今日は通常品種を7個収穫した。収穫期の目安になる葉が倒れていたので。


今日も自粛していたら、今度はモンキチョウのご褒美をいただいた。
(アニマルボイスさんから「キチョウ」ですよ、とメールが来ました。お詫びして訂正いたします(._.))
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ブーゲンビレアに停まってくれた。
先日はシャクナゲにクロアゲハだったのだが、忠実(?)に自粛をしていると神様の粋な図らいがあり、感謝である。

採ってきたタマネギは庭に日光浴をさせておいた。
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夕方、レシピを調べて1個をタマネギステーキにしたのだが、思っていたより美味しかった。
撮り忘れたのが残念。


長くかかったバリアフリー工事も終わったので、羽ばたきたいと思っていても、明日は何をしようかと考えてしまう。
最大の予定は、燃えるゴミを出すこと(ノД`)・゜・。



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元気が出る? 「がん闘病記」その③ [日記・雑感]

4月26日、曇り時々晴れだと私、家人さんは晴れ時々曇りでしたと譲らない。
昨夜のこと、PCのメールを開いたらだるまさんから2本のメールが届いていた。
最初の1本は写真だけだったのだが、活けられている花を見ると葉姿からオダマキのように思われた。
2本目のメールには、「さゑ姉さんからラインで送られてきました。花は『みやまおだまき』だそうです。花瓶は確か3年ぐらい前に作った釉薬は瀬戸黒です。花をいけると花瓶もうまく見えますね」と、連絡文があった。

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だるまさんは今では鶴首の花瓶を作ることができる腕前なので、3年前の作品に間違いないと思う。私は黒織部は時々利用したのだが瀬戸黒は知らない。よく似た雰囲気がする。
「さゑ姉」さんは俳号だろう、同窓生であこがれの人である。だるまさんが俳句と陶芸とお花で繋がっているのはnice! だと思う。

さて、同人誌『山波』194号の花田吾一さんの「がん闘病記」、いよいよ最終回の3323字。
花田さんが頑張ったように、皆がコロナにも負けることなく元気に生きていきたい。
あ、そうそう花田さんも、だるまさん、さゑ姉さんと同窓生だったんだ。
もちろん私も、蛇足でしたかな。


★手術
 年が明けると、いよいよ手術。
「どちらを先にします?」
 と訊かれ、私は子どもの手術の結果を知りたいので、子どもが17日、一週間後の24日に私が手術を受けることになった。国立がんセンターではいろいろな事例のがんを扱っているが、親子が同時期に入院し、同時期に手術を受けるということは、あまりないのではないのか。大変な事態なのだが、つい誰かに自慢したくなってしまうのは、すでに精神状態がおかしくなっているのか? とまれ、子どもの手術は午前9時に始まり午後6時に無事終了。
(正確に記すと、子どもの腫瘍はちょうど一年経った頃に再発してしまったのだが、再手術が行われ完治した)    
さて、次は私の番だ。
「やってみなければわからない」
 と言われた抗がん剤は運良く効いていて、腫瘍は入院当初の四分の一ほどに小さくなっていた。包帯の上からそっと触ってみても、しこりはほとんど感じられない。よしよしこれで簡単な手術で済むのかなと楽観していたのだが、これがオーマチガイ。腫瘍は2㎝ほどに縮小しているのだが取り残すと再発の恐れがあるためその周り5㎝(要するに直径12㎝!)をざっくりと切り取ると告げられた。足の切断という事態に至らなかったのはまあ幸いと言えば幸いだが、甘かった。怪しい部分をごっそりと切り取った跡には、「皮弁移植」という方法なんだそうで、切除した部分には足の膝上の後ろ側からこれまた筋肉ごとごっそり切り取って移植するとの説明があった(手術前日の妻を交えての説明)。
 手術時間の予定は約6時間。
 手術室に入ったのが午前9時ちょっと前で、その後は全身麻酔で全く意識なし。大きな声で名前を呼ばれて目覚めた。あ、終わったのか・・・と思いながら、最初に訊いたのが、
「今何時ですか?」
 午後の3時過ぎだった。その次に言ったのが、
「おしっこがしたいんですが」
「そのまましてください」
 まだ意識が半分-ぼーっとしていたのだろう。尿管を通して膀胱までチューブが差し込まれていることに全く気がつかなかったのだ。

★術後
 手術した日は集中治療室で一晩過ごした。よくドラマなどで患者が麻酔がきれたとたん痛くて叫んだり泣いたりするシーンがあるが、手術前に入れた麻酔薬のおかげか痛みは全くなかった(硬膜外麻酔といい、脊髄の近くに刺したチューブの先に薬の入った球体があり、そこから少しずつ痛み止めの薬が流れ込むというもの)。さすがプロの業と、これまた変なところで感心した。
 集中治療室では体はほとんど動かせない状態で、ひたすら眠りたいのだが長時間動かないと血流が悪くなるとかで一時間おきに看護士さんが来て無理矢理体を動かされるのであまり眠れず。翌日別に異常はないということで無事一般病棟へ。体からは5~6本チューブが出たまま。そして酸素マスク。医療ドラマでよくある光景そのままと言っていい。食欲は全くなし。 看護士から栄養分、水分は点滴で落としているから無理する必用はないと言われる。
 数日後、回診してきた医師がチューブの先についている袋をチェックした後、
医師「そろそろ尿管のチューブを抜きましょうかね」
私「抜くのはいいんですが、こんなにいろいろ(チューブを)つけているとトイレにも行きづらいのですが」
医師「そうですね。じゃあ、全部抜いちゃいましょう」
私「・・・・・」
 国立がんセンターでは、予想外のことがよく起こる。予想外と言えば、その翌日だったかに手術跡がほぼ塞がったということで、これまた何の予告もなしに抜糸となった。抜糸といっても米倉涼子主演の「ドクターX」を見たことのある人ならわかると思うが最近の手術の切り口は糸ではなくホッチキスのようなものでパチンパチンと止める。それをいきなりというか心の準備もできていないのにグイグイと引き抜かれたのだ。もちろん麻酔などない。痛いの痛くないの(どっちなんだ?)。長期入院で最も痛みを感じたのがこの瞬間だった。それでも体調は日々よくなってきていたので、回診してきた医師に、
私「そろそろ外泊許可出ませんですか?」
と、訊いたところ、
医師「では退院しましょう」
 と、いきなり言われて、またびっくり。手術後10日ほどであっさり退院ということにあいなった。先に退院している子どもも交え久しぶりに親子3人揃っての我が家が復活した。
 しかし、治療は、これで終ったわけではない。私には「念のため」の抗がん剤がまだ一クール残っている。まあ、そうはいっても、最大の懸案だった手術も無事終わり、抗がん剤もこれで最後だと思うと気も軽く鼻歌の一つも歌いたくなるのだ。1週間ほどしてがんセンターに舞い戻ってきた私の足取りは軽かった。ところが、そこでまたまた意外なことを告げられたのだ。
医師「一応、標準治療にのっとってやりたいので、抗がん剤治療は後2回やることになります」
私「えっ、1回のはずでは?」
医師「2回です」
 医師は、そんなこと言ってないもんねーという顔をして、ほとんど命令。もう終りだと思っていたものが終りではなかったというショックは大きい。100m競走でゴールが見えてきたと思った瞬間、もう100mあると言われたようなものだ。私は、咄嗟にこんな提案をしてみた。
私「今まではアドリアマイシンとイフォマイドで2日、 イフォマイドのみが3日で5日だったわけですが、アドリアマイシンとイフォマイドで1日、イフォマイドのみが2日の3日というのではダメでしょうか?」    
 もちろん、即時却下。
泣く子と主治医には勝てない。結局、以前と同じ抗がん剤治療を2クール。ただ、手術で腫瘍を除去した効果が出ているのか術前と比べて副作用は軽かったように思う。というようなことがあって、無事退院となったのはがんセンター入院の半年後のことだった。

★退院後
 がんで怖いのは再発である。
 入院したとき同部屋だったA君は夏に手術して早くも秋に再発だったそうで、さすがに暗い顔をしていた。再発したため九州から上京して来た人は、いい結果が聞けなかったのか、しょんぼりと挨拶の言葉もなく帰って行った。私も、退院後当然のように定期的な検診を受けることになった。それでも再発のリスクは術後時間が経つほど低くなるそうで、退院当初毎週だった検診の間隔が、1か月、3か月、半年と長くなり、現在は年に一度がんセンターの検診を受けている。たいてい毎年5月の半ばだが、この日は私だけでなく子どもも検診を受け、問題ないことを確認すると家族揃ってがんセンター近くのファミレスで食事をするのが「年課」になっている。
 入院したときにはまだ50代だった私もいつの間にか古稀を過ぎてしまった。
 この先がんの再発がなかったとしても残されている時間はそう多くはないだろう。映画 『生きる』の主人公は残された時間の中で己の生きる意味を問い、 生きぬいた。ドストエフ スキーの『白痴』の主人公ムイシュキン侯爵は死刑執行直前の人間の心境をこう語っている。
「もし死ななかったらどうだろう? もし命を取りとめたらどうだろう? それは無限だ! しかも、その無限の時がすっかりおれのものになるんだ! そうしたら、おれは一つ一つの瞬間を100年に延ばして、一物たりともいたずらに失わないようにする。そして、おのおのの瞬間をいちいち算盤で勘定して、どんな物だって空費しやしない!」(米川正夫訳)
 翻って自分の現実をみると、ただただ怠惰な生活を続けているだけのようにも思える。せっかく、がんセンターの医師や看護士、家族、友人に支えられ与えてもらった命である。こんなことでいいのだろうか、後悔はないのかと考え込んでしまうこともあるのだが、なかなか映画や小説のようにはいかないのが現実である。 ちなみに、『白痴』では、死刑を免れたその人物は、
「まるっきり違った生活をして、多くの時間を空費したそうです」
 と、されている。人生には「余生」などというものはないと私も思うのだが、まあ、これも自分の人生なんだと、自分に言い聞かせるしかない。
 生きているだけで意味があり、価値があるのだ、と。
 チャップリンも『ライムライト』の中で、こう言っている。
「There’s something just as inevitable as death. And that's life.(死と同じように避けられないことがある。生きることだ)」
 さてと、もう少し生きてみるぞ!


今月初め、昨秋採っておいた黄花おだまきの種を播いたのだがまだ発芽しない。タイミングを間違えているのかもしれないのだが、発芽するまで水やりを続けようと思っている。
今朝も菜園行きは自粛して、自宅で初挑戦の「スクナ(宿儺)カボチャ」の種を播いた。
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岐阜県高山市の甘い特産カボチャ、多分成功するだろうと思う。


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元気が出る? 「がん闘病記」その② [日記・雑感]

4月25日、珍しく早朝の畑作業をする気にならず、今日も外出自粛モード。
小庭の空きスペースを探して春ダイコンを播いてやった。収穫までに至るだろうか?
畑にではなく庭にダイコンの種を播く爺さん、俳句にならないかなぁ、川柳かな。

福ちゃんは家人さんと至福の時間を過ごす。
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自粛をしていると私にもこんなご褒美が、クロアゲハかと思うのだが。
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正面から撮ろうと外へ出たら「ステイホーム!」と、逃げられた。

さて、昨日の続きである花田吾一さんの「がん闘病記」、えっー、そんなことがあるのぉ、と驚きの2985字。

★抗がん剤治療
 病院に戻って聞かされた検査結果はやはり悪性のがんで「悪性粘液性組織球腫」というもの。何万人に一人という希少がんだった。ただしここまではすでに覚悟していたわけで、PET検査の結果、転移はないということで少し安心する。まずは切開跡の雑菌を殺す必要があるということで、抗生剤の点滴が始められた。チューブにつながれているのはめんどうだが、点滴をしたらそれまでの変な臭いがたちどころに消えたのには驚いた。後生いや抗生剤恐るべし。
 そして、いよいよがん治療開始となった。
 まず抗がん剤治療を3クールやり、腫瘍が小さくなったところで手術。さらにその後、念のため再度抗がん剤をもう1回やるという治療方針全体の説明を受ける。
私「抗がん剤は効きますか?」
医師「やってみないとわかりません」
私「・・・・・」
 治療は、まず前日の夜から「流し」と称する電解液の点滴から始まる。これは、吐き気などの副作用をできるだけ抑えるためのものだ。翌日の午前中にさらに吐き気止めの薬を点滴で入れ、午後からいよいよ抗がん剤による治療が始まった。二種類の抗がん剤(アドリアマイシン=A、イフォマイド=I)を6時間かかって入れるのが二日、一種類の抗がん剤を4時間で入れるのが三日の計五日間。電解液は抗がん剤前日の「流し」から抗がん剤が終わった翌日までずーっと継続。要するに1週間点滴で繋がれっぱなし。入って来るものがあれば出るものも増えるわけで、夜はほぼ2時間おきくらいにトイレに行くことになった。この時の尿の量は数値がナースセンターに送られており、尿の量が予想より少ないと翌日さっそく利尿剤の点滴が追加される。
一日目 夕方より流し(抗がん剤を排出するための電解液の点滴)
二日目 抗がん剤二種類(A+I)6時間
三日目 抗がん剤二種類(A+I)6時間
四日目 抗がん剤一種類(I)4時間
五日目 抗がん剤一種類(I)4時間
六日目 抗がん剤一種類(I)4時間
七日目 流し終日(翌日朝まで)
前後に吐き気止めとか利尿剤などの追加注入があったりするため、この1週間は、だいたい午前11時に抗がん剤が始まって午後6時に終わるようなスケジュールの繰り返しとなる。私の場合、吐き気は初日の夜から感じられ始め以後治療期間中は全く物が食べられなかった。ひどいときには、水をちょっと飲んだだけで、うぐっとくるのだから辛い。初回のときは吐き気がおさまらないので最後の「流し」を1日延長してもらった。
しかし、ホッとするのはまだ早く、抗がん剤を終わって数日すると熱が出た。それも半端なものではなく、全身に震えがくるのだ。体温を測ってみたらなんと39.8℃。怖くなってその後は計らなかったがまちがいなく40℃を越えていたと思う。さらに白血球の減少。減少がひどいと白血球を増やす注射を射つのだがこれがまたとてつもなく痛い。そして副作用に代表のような脱毛ももちろんあるのだが、上の二つの副作用と比べたら屁のようなものだ。ただ、人間、眉毛がなくなると怖い顔になる。鏡に写る自分の顔がとても堅気には見えない。なるほど、それで映画で見るやくざが眉毛を剃っているのかと、変なところで納得した。
治療中、看護士が、
「きついですか」
 と訊くので、
「キツイねえ」
 と答える。
「そうですよね、抗がん剤の強さは、一に血液(競泳の池江さんなどの血液がん)、二に整形と言われていますから」
 と明るく言われてしまった。
主治医が来たときに、抗がん剤はどうやってがん細胞を認識するのかを訊いてみた。
がんは活発に細胞分裂をして増殖していくので、抗がん剤はそういう部分を狙い射つのだという。そのため血液を作る骨髄や毛髪、爪など体内で比較的細胞分裂の活発な部分はがん細胞と認識されて抗がん剤に攻撃されてしまうのだろうと理解。がんになったおかげ?で、ひとつ勉強になった。
さて、抗がん剤終了後1週間ほど血球値など副作用の治療をすると一旦退院となる(退院なので荷物も持って帰宅)。自宅で体力の回復に努めるわけだ。が、1週間~10日ほどすると電話がかかってきて再入院(書き忘れたが、国立がんセンターでは最初に「がんセンター」と名乗っていいのかどうかを訊かれる。がんは世間的にはまだまだ不治の病と思われているので家族にはまだ隠しておきたいという人もいるはずで、これもよく考えられた配慮だと思う。私の場合は家族、親戚、知人すべてにがんのことを話してあるのでOKしたが、そうでない場合はどう名乗るのだろう?)。
再入院後は、また同じ抗がん剤治療を受ける。私の場合、年内に予定通り3クール行った。自宅ではできるだけ体力の回復をはかるという繰り返しだが、ともかく食欲はずーっとないのであまり食べられない。体重はおもしろいように減っていく。結果、3回の抗がん剤治療で10㎏以上のダイエットに「成功」した。などと自慢している場合ではないのだ。
ともかく、抗がん剤が効くことを信じ、副作用の辛さに耐えてがんばるしかない。そう覚悟を決めていた時、大事件が勃発した!

★親子そろっての入院
ちょうど抗がん剤が終わって一時帰宅している時だった。
 子どもが、「右手が痛い」と言う。ゲームのやり過ぎだろうと思ったが、痛いというのを放っておくわけにもいかないので、妻が近くの医者に連れていった。私は次の抗がん剤治療に備えて自宅にいたが、まだ全身が怠く微熱もあるので、ソファに寝転んで少しうとうとしていた。ところに、電話が鳴った。びっくりして起き上がり受話器をとると、聞こえる妻の声がうわずっていた。
 触診した医者がちょっと変なのでとレントゲンを撮ったところ、右手親指に繋がる骨がほとんどなくなっている、というのだ。骨腫瘍の可能性も考えられる。いったい何がどうなっているんだ?わけがわからなくなって一瞬、頭の中が真っ白になった。それでも現実に戻れば、そう言えば、秋から時々右手が痛いと言っていたことをすぐに思い出した。その時、医者に連れて行っていれば・・・と後悔したが、今さらどうすることもできない。私の入院のことで私も妻も手一杯だったのだ。では、ではどうすればいいのだ? 気ばかり焦るが、私自身ががん患者である今は何もできない。
 そう思った瞬間、閃いた。
 そうだ、こんなとき相談できる医者がいるじゃないか!
 すぐ、がんセンターの主治医に電話をかけた。いつもは忙しくて待たされる主治医に奇跡的にすぐに繋がった。事情を話すと、できるだけ早く検診日を決めて知らせると言ってくれた。
「先生が、診てくれますか?」
「もちろん、私が担当します」
 子どもの診断は、数日後、私が再度の抗がん剤治療のため入院した翌日と決まった。私の初診のときと比べてずいぶん早いのは、主治医のおかげだと思う。感謝。診断があった日の夕方、抗がん剤で怠く、うとうとしていた私の所に主治医がやって来た。
「花田さん」
「・・・?」
「お子さんの腫瘍、多分、悪いものじゃないですよ」
 その瞬間、不安とストレスがスーッと消えていくのがはっきりとわかった。数日後、子どもの腫瘍は「巨細胞腫」というものであることがわかった。抗がん剤は必要なく、腰のあたりの「必要ない」骨を採り形状を整えて親指根元に繋がる骨を再建するのだそうだ。悪性腫瘍ではないにしても、けっこうな大手術だ。結局、年明けに親子揃ってがんセンターに入院することになった。
                               (明日に続きます)


これは、昨日菜園から撮ったハナミズキ
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手前は調整池なのだが、そろそろウシガエルが鳴き始めるのではないかと思う。


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元気が出る? 「ガン闘病記」その① [日記・雑感]

4月24日、今日も静かに自粛し、福ちゃんと並んで朝日を受ける盆栽観賞で時間を潰す。 

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昨日の岡江久美子さんがコロナで亡くなったという知らせには驚いた。聞けばガンの術後放射線治療中だったらしい。そのため免疫力が低下し重症化した可能性もあると言われている。
関わっている同人誌『山波』194号が今月出版されたのだが、花田吾一さんが「元気が出る? 『ガン闘病記』」を寄稿してくれている。花田さんの場合は抗がん剤治療であるが、白血球への影響はあっただろう。コロナの時でなくて良かったと思う。花田さんがこんなにも大変な思いをしていたのかと初めて知った。
暗くならないように面白く書いてあるので、ぜひ紹介しようと本人の許可を得たのでアップ。
ちょっと長いので3日連続に区切ることにしたい。
明日は、ビックリするようなことが記されているので、ぜひ今日の3372字を読んで欲しい。


     元気が出る?「がん闘病記」

                    花 田 吾 一 


 私の弟は、数年前にまだ60代で亡くなっている。
 母親が92歳という、ある意味、天寿を全うしてからわずか4か月後のことだった。  
 予想もしていなかった弟の死に面して思い出されたのが、1952年の黒澤明監督『生きる』という映画である。次作『七人の侍』で侍たちのリーダーを務めた志村喬主演の映画だ。冒頭、主人公の胃のレントゲン写真が映し出され、「胃がんの兆候が見える」とナレーションが入る。自分ががんであることを知った主人公が、残されたわずかな時間をどう生きたかという物語なのだが、この時期、たとえ初期のがんでも不治の病と考えられていたことがよくわかる。要するに、がんというのは=死の宣告だったのだ。
 その後の医学の進歩により、がんは必ずしも不治の病ではなくなりつつある。が、しかし、弟のときもそうだったが、現在でもがんは死に至る可能性が極めて高い、死因の二人に一人はがんだといわれる難病である。薬局で薬を買ってきて飲んだら治るというような病気ではない。かつて読んでいたネットのがん闘病記「ひまわりママの脳腫瘍闘病記」「ハートは心臓にある」「おだやかな日々が続きますように」「進め!一人暮らし闘病記」「四人部屋」「マコの闘病日記」などのブログ主はすでに亡くなっている。そんな、がんの告知をうければ誰もが絶望的な気分にもなるが、もちろん治って社会復帰する人間も珍しくはない。 実は私も、その一人だ。室生犀星の『われはうたへどもやぶれかぶれ』のようにはとても書けないが、まあできるだけ暗くなり過ぎないよう、読み終わったら少しは元気が出るように、自身の「闘病記」を書いてみることにしよう。

★発端
 2005年7月のことだった。
 右足の付け根のちょっとした違和感に気づいた。直感的におできだろうと近くの薬局で薬を買い一週間ほど塗ってみた。が効果はない。痛みはなかったが、大きくなると嫌なので、仕方なく病院へ行くことにした。
「おできですね」
 触診した40歳くらいの医者は即座にそう断言した。
「切りましょう」
 げっ! やっぱり、と思ったが促されるままに後ろにあるベッドにうつ伏せになると、いきなり麻酔注射。続いて何かごりごりやっている軽い痛みが感じられたが、ものの5分ほどで、
「はい、終わりました」
 看護士が慣れた手つきで包帯を巻いてくれた。医者からは、
「切開したところから『悪い汁』を出す必要があり、汁が出る前に切開した所が塞がってしまうといけないのでガーゼを入れてあります。ガーゼの取り替えに、まあ一週間くらいは病院に通ってください。お風呂はしばらくダメです」
 と言われて帰宅。ところが、一週間経っても二週間経っても「悪い汁」は止まらない。この病院に限らないのだが、町の病院のほとんどは各科に専任の先生がいるわけではない。月曜は〇〇大学の、火曜日は✕✕病院の先生がやって来るという感じで、毎日担当の先生が変わるのである。ある意味責任もないわけで、病院でガーゼを機械的に交換するだけの日々が続いた。さすがに8月も末になったとき、女子医大から来ている先生から、
「どうもしこりの感じがおかしいので、組織検査をしたい」
 と言われた。組織検査と言われてもこちらは何のことかわからないので、「はい」と答えたところ、さっそく「おでき」を切られたベッドでその組織検査なるものが始まった。いや、その痛いのなんのって、終わった時にはもう汗だく。しかし、一週間後に聞かされた検査結果は、問題なし。再びガーゼを取り換えるだけの日々が続き、気がつけば9月になっていた。女子医大の先生が、
「もう一度、組織検査させてくれませんか」
 と言い出したのはそのころだった。あの痛さを思うと「勘弁してほしいなぁ」とは思うものの、医者には逆らえない。痛い思いをした一週間後、結果を聞きに行くと先生の表情が厳しい。「何かあったな」と、ピンときた。だから、「悪性らしき細胞が見つかった」と言われてもそれほどは驚かなかった。が、まだまだ先のことだと思っていた「死」が急に現実として目の前に現れた瞬間だった。
「この病院では無理ですのでどこか希望する病院はありますか?」
 と訊かれてもどこの病院がいいのか全くわからない。ただ名前を知っているというだけで、
「国立がんセンターでお願いします」
 紹介状を書いてもらって帰宅すると、まず妻に現状を報告した。続いて国立がんセンターに電話をすると、「どこの科がよろしいでしょう?」と訊かれたが、胃がんとか肺がんとかというものでもないので何科なのかわからない。 症状を説明すると「整形外科」につないでくれた。もう一度説明し、来てくれと言われたのはその二週間ほど後。 実際に入院できたのはさらに間が空いて10月になっていた。町の病院に最初に行ったときからは3か月も経った時のこと。国立がんセンターには全国から病院の紹介状を持ったがん患者が集まって来るので、すぐに入院というわけにはいかないのだ。
 それにしても、病院へ行き始めてから2か月も見当違いの治療をしていたわけで、世に万とある「がん闘病ブログ」を読むと、予後不良となるケースの多くがこの見当違い(初診での未発見、誤診)によるものであることがわかる。私の場合、最初の切開はいきなり医者の後ろにあるベッドで注射を一本射ってぐりぐりと掘り出すというある意味乱暴なものだったわけで、この時、がん細胞が飛び散り体内に拡散しなかったのはある意味奇跡だ。なんだかおかしいと思ったらセカンドオピニオンを受けることを強くお勧めしたい。世の中にはセカンドオピニオンを受けたいのでカルテを出してくれと言うと、嫌な顔をしたり、カルテを出し渋る医者もいるようだが、カルテを出すのを拒否するのは法律違反。プライドだけが高いそんな医者はどうせろくでもない医者なので即刻転院することをお勧めしたい。その意味でも、女子医大の先生には感謝しかない。

★入院
 10月になりようやく築地の国立がん研究センターに入院できた。着替え、寝間着、歯ブラシなどの生活用品と保険証、小銭(病院内に売店、食堂などがある)等を持って入院。ともかく入院してみないと何が必要なのかもわからないので、必要なものがあれば家族に届けてもらうことにして、荷物はできるだけ少なくした。ともかく、生まれて初めての入院なのでわからないことばかりなのだ。
 午後に入院し、いきなり手術ということもないだろうからしばらくのんびりできるのかなと思っていたら、これが大まちがい。入院当日、病室(四人部屋)に通され落ち着く暇もなくサインをする書類がいっぱい。別に拒否する理由もないのでざっと目を通して次々とサイン。続いて、PET検査(微量の放射能を体内に入れ、がんの転移などを調べる検査。終了後ただちに水500㏄を飲まされる)、MRI、CTスキャン、心電図、肺機能検査、血液検査、尿検査・・・。これらの検査を次々とこなし、肉体的にも精神的にもへろへろ。転移がなければいいがと思いながらベッドに戻る。
 夕方になって主治医となる先生が挨拶にきた。翌日は生体検査(全身麻酔で生きた組織を取り出してがんの種類を特定するための手術)。いってみればここまでが予備調査。結果が出るまで外泊許可をもらって一旦帰宅した(退院ではなく外泊なので入院時に持って来た荷物等はそのまま)。国立がんセンターでは、治療に差し障りがない限り申請すれば外泊、外出の許可がおりる。
 抗がん剤での治療は孤独な闘いだ。
 食欲もなく誰とも話すことなく一日中ベッドに寝たまま点滴を受けていると、ついつい自分という人間が社会から切り離されてしまっているような精神状態に陥ってしまう。そんなとき家族や知人が面会に来てくれると、自分の周りにはまだこれだけの人がいる、がんばって治そうという気持ちになれるのだ。後に、この雑誌の同人である越智さんが知り合いを見舞いに上京したおり、がんセンターまで案内したことがあるが、その友人も力づけられたことだと思う。
 もう一つ、がん患者は入院するとき、もう二度とこの家には帰って来れないのではないかという不安とともに入院する者が多いと思う。少なくとも私はそうだった。その意味でも、 外泊、外出というのは患者のメンタル面の上でもすぐれた制度だと思う。
                               (明日に続きます)


夕方、薬が無くなったので今月初めての整形外科へ行った。ずいぶん患者が少なくなっていて、受付では額にピッと当てられた、36.5度だったので診察が受けられた。やっぱり理学療法士さんのマッサージを受けると軽くなる。
しかし、2週間なんてケチなことは言わずに次の投薬までの4週間、通院なしで注意して何とか頑張ってみよう。


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同じ日が続く [日記・雑感]

4月23日、曇り。
今日も昨日と全く同じ日を過ごす。
早朝は畑で苗の植え付け、お昼からは小庭でウロウロと撮影。
午後、スーパーでちょいと買い物(夕食用)。

赤花絹さやエンドウの初収穫
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ザルの右側、左はスナップエンドウ

暇なので、夏野菜の植え付け表を作成。
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毎年、夏野菜だけ作成する備忘録、連作障害の参考。
空白部は、現在タマネギと豆類が成長中。


ニオイカエデ
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終わりかけのフジ
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発芽し始めた小品のイチョウ
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枯れたかもしれないと思いつつ、外へ出したら発芽したキリンソウ(白)
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小品のヤツデ、新しい葉
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北東の位置に植えることなく鉢のままにしておいて、無事発芽してくれたスズラン
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冬中、室内管理していて植え替え準備中の寒蘭
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緑化カラマツソウ
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今月、初めての整形外科の予約を明日に入れた。マッサージと投薬をしてもらい、あと1ヶ月頑張ってみようか。
そのころは自粛も解けているのではないかと期待したいのだが、愛知は理美容店に協力金を出すとか、散髪ももう2ヶ月ほど行っていないように思う。
家人さんに「別に行かなくても問題ないんじゃないのぉ」と言われる(>_<)


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俳句 [だるま広報]

4月22日(火)、早朝2時間の畑作業で、昨日の酷い腰痛の原因が分かった。
金、土、月の3日間でトマトとキュウリの畝を立てて、支柱19本を建てたことによる筋肉痛であったことに気づく。腰だけでなく首、肩、腕、太ももなどにも痛みが出たので。
今朝はゆっくりと作業して、計19株(今日は7株)の定植を完了させた。

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昨日と今日とだるまさんからメールが届いた。先日の『すべって、ころんで、さあタンゴ!』の読後感想文を著者に送ったことと、さらにこのブログを著者に紹介したよ、という知らせであった。2000字以上もの感想文を、的確によく書いたものだと感心。
メールには、同人誌『山波』にも毎号掲載されていて、だるまさんが関わっている「らくだ句会」の選句結果のファイル添付もあった。
先日、だるまさんがコロナで「149回 メール句会」となってしまった投句61句を教えてくれたので、気まぐれに私も5句を選んでメールしておいたからだろう。
私が選んだ5句で複数の選者がいたのは、次の一句(2点)だけであったので、私は選者としても凡人以下なのかなぁ、いい句だと正直に選んだのだが(>_<)
うららかや母の手の味塩むすび  浄爺 さんだった。

なごやかな春日の暖かさと母の優しい心をおむすびに一緒に包んだ、シンプルな詠みで nicer! と思ったのだが。

浄爺さんには、5点句もあった。
球音の消えたグランド犬ふぐり

今回の兼題が何か知らなかったのだが、概ね春なのだろうとは想像して選句していた。犬ふぐりを引っ張ってきたのは、なかなかだと思っていたのだが、私としてはコロナは俳句として選びたくない心境だった。

だるまさんには3点句があったようだ。
ひこばえや親子二代の臍まがり  達磨 

もしかして、これは自分のことを詠んだのかな(。´・ω・)?


午後、小品のカエデの葉を撮る。
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歳時記で「カエデ」と引いてみたら、「楓の芽」と「楓の花」しかなかった。もちろん春の季語なんだが、カエデのは「紅葉」として秋の季語にしかならないのだろうか。
春には「出猩々」とか美しい葉があるのだが・・・。


今日も自粛で、菜園と購入品メモを携えてのスーパー(夕食分)だけの外出。


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ついに来た腰痛 [日記・雑感]

4月21日、曇り。
整形外科の腰痛リハビリマッサージを週2回欠かさず受けていたのだが、今月からコロナリスクを避けるため通院していなかった。意外と快調だったので、これまでの通院は何だったのかと思っていた。
ところが、久しぶりにどうにもならない痛みが現れ、自分で行う有効だった経験的な方法をいくつも施してみたが効果が持続しない。


気晴らしに元気を出して、長寿梅(白)を撮る。
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長寿梅は年に何度も咲いてくれる四季咲き。

私の腰痛は、何度も咲いてもらわなくていいのだが(>_<)
明日は、整形外科が休診日。


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花観賞の福ちゃんを鑑賞 [日記・雑感]

4月20日、今日も雨だし自粛要請もあるので福ちゃんを鑑賞して過ごす。

いつものように朝は、花観賞
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シャクナゲ(陽晃)
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福ちゃんも、自粛なので「さー、寝よかー」。
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おまけ(4/19撮影)
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結局、午後の小雨も止まず予定していたトマト苗の定植もできず、夕方にちょっと外へ出て発見。
小鉢植えの椿の新芽も自粛から解放されたいかの如く。
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ちゃんと活用できる [日記・雑感]

4月19日、快晴、早朝の菜園でトマト苗用の畝をマルチンングして支柱を7本建てた。
明日は定植したいと思っている。
午前中に枝豆、インゲン、下仁田ネギの種を播いた。
豆類は菜園に直播きすると、鳥に食べられてしまうので自宅でポット植えにして管理している。


バリアフリー工事で、従来の庭を潰して何とか残した部分の小庭を自分で作ったのだが、門前に約1㎡のもったいない部分があった。
図面を赤線で囲った部分。
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こんな状態。
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四角の部分は水道の検診メーターと止水栓。丸い部分は汚水桝の蓋。
両方とも中を開けてみるとほとんど空間。
工事前はここに、盆栽棚を置いていたので特別に問題意識はなかった。

四角の部分は小さいものに置き変えただけで。
丸い部分は掘ってコンクリートを切って小さな蓋にした。
こんな簡単な話なのだが、これを当初、出入りの工事業者がやりたくないと言うか、やらせてもらえないという様子。
「自分で交渉してください」と言うので、私が管理者に照会したら、やっぱり拒否する。
所有権は私にあると認めるのだが、拒否理由を訊ねてもちゃんとした説明ができない。
やっとこさ現地確認に来て、有効利用について話したら「どうぞ、やってください」だった。
工事業者にどうも変な縛りをかけているような感じ。
もしかすると多くの人が最初から諦めている可能性がありそう。

小さな花壇にして、いっぱいの花が咲いてくれた。
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右奥に樹高約2mのソヨゴ(常緑樹)の単木も植えることができた。

わずか1㎡の部分なのだが貴重な1㎡、有効に利用しないともったいない話である。
地元の工事業者が、簡単に手を出させてもらえないような何かがありそうで不思議。


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すべって、ころんで、さあタンゴ ! [読書録]

4月18日、午前中までの雨かと思っていたら、午後も何だか不安定。
昨日植えたミニトマトの苗が、折れはしないかと心配していたのだが、それほど強い春の嵐ではなかったので安心した。


一昨昨日、関わっている同人誌『山波』の事務局も務めているだるまさんが『すべって、ころんで、さあタンゴ! 』(風媒社)を贈ってくれた。

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だるまさんの文章の先生で、シナリオライターの芳賀倫子さんが上梓した60編からなるエッセイ集。
各編とも3頁でまとめられて読みやすく、何よりも結びの一言がしっかりと〆られていて面白かった。文章はつくづくセンスだなと思う。
そして、まるでワイドショーが取り上げるようなマルチな出来事を取り上げ、その幅広い知識と興味心に驚く。
さらに、氏の文章には名古屋人ならではの雰囲気が漂っているのが嬉しい。巨人がいるからセ・リーグが嫌いなどとは最たるものだ。政権批判の姿勢もいいねえ。
おわりに、講師らしく春日井市(愛知県)でのエッセイ講座の「やさしい文章の書き方」も示されている。
忙しがっている私としては、昨日から雨だったことも幸いして珍しく速く読み上げることができた。因みに読了を目指していた『木村正彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』が不完全燃焼に終わったところだったので、短期間に読めた達成の喜びも大きかった。
定年後の【読書NO.359】芳賀倫子著『すべって、ころんで、さあタンゴ! 』(風媒社) 2020年3月25日 第1刷発行
4月18日 読了。

そういえば、だるまさんは先週出版された『山波194号』の私の原稿について、何もコメントをくれなかった。よーく考えてみるとこの本のプレゼントが「もっと上手な文章を書けよ!」と言う、厳しいメッセージなのだろうか。
勉強したので「次号を読んでくれッ!」と、言っておきたい。


今日も自粛ムードで閉じこもっていたのだが、夕方ちょっとだけ外へ出てみたらキングサリが全開していた。
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小庭造りのために購入した細くて小さい木なのだが、成長が早いと聞いたので選んでみた。
まだ1mあまりの可愛い子である。


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姫シャガ咲く [日記・雑感]

4月17日、今夜から強風雨の予報が出ていたのだが、少しでもやっておこうと早朝にミニトマトを5株定植した。1株に2か所のの字結びでしっかり固定しておいたので強風には耐えられると思う。

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上からイエローアイコ2、アイコ2、千果1。今年は黄色のミニトマト多くしようと思っている。年毎、黄色系の方に甘さを感じるようになっている。

夕食の買い出しで星が丘へ出かけたのだが、交通量がかなり少なかったようだ。
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東名高速名古屋IC方向。

帰宅したら一挙に姫シャガが咲いているのに気づいた。昨日まで全く気配を感じていなかったのだが、折角なのでよく見える位置に移動。
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鉢植えは移動ができるので便利なのだが、水やりを忘れる(飛ばす)ことがあるので、これも花後に地植えにしようかと思う。

数年前、お向さんに差し上げた春蘭が「今年も咲きました」と、報告をいただいた。
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わが家の春蘭は、かつての上司からいただいたものがそろそろ咲きそう。


隣の名古屋市名東区の住宅街に日本カモシカが現れ、捕獲されたらしい。どうやら守山区の東谷山(4/6アップ)から来たようだ。30年前は我が家の近くでも見られたのだが。
そういえば、昨日、畝を立てた表面に直径3㎝程度の歩いた足跡(キジかな)があったので、何か居そうな気配がする。

全国に緊急事態宣言が出され、東京では今日200人超えのコロナ感染者が出たようだ。
何とか医療機関のマヒだけは避けたいところ。


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そこは本当の春だった [日記・雑感]

4月16日、かなり気温が上がった日で5月上旬だとかTVが言っていた。
早朝に菜園へ行ってトマトを植えようと思っていたのだが、疲れていたので8時起床にした。
だるまさんが送ってくれた本が、昨夜は枕元で沈んだままであった。午前中は行動自粛として、ちらりと読んだら これが面白い。早く読み上げたいのだが、トマトを優先しようと午後から菜園へ。

出掛けようとしたら、2輪目の翁草が目につく。
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今後は庭植にしようかなと、環境造りをちょっと考える。

緑化カラマツソウもスミレに負けることなく、今年も頑張ってくれた。
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シャコバサボテンは例によって198円パターンで購入したもの。
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賑わいになるので歓迎。


午後の菜園は4カ月ぶりくらいかな。
ここで初めて今年の春を見た。
法面にはタンポポ。
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私のタマネギの中には、ポピーもいた。
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耕しているとツマグロヒョウモンが来た。
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モンシロチョウはチラチラと飛び交うものの停まってくれない。
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アゲハも来てくれたのだが、撮れなかった。

放っておいたので、ネギの花が背比べ。
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絹さやエンドウはまだ収穫には至らない。
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グリーンピースももう少しかかりそう。
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フゥーフゥー言いながら、2m強の畝を3本立てた。今年は南北にしてみたのだが30㎡にあれもこれも育てるのは大変、美味しいものをいただくには体を張らねば。
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車の中に入れていたマスクは、よく見るとマスクの中に入れる蒸気シートであった。2月だったか、やっと見つけたと思って高いのに購入してしまったのだが、失敗。アベノマスクには合うかもしれない。
もっとも菜園ではマスクは不要、鍬を振るうには息が苦しいうえ他の人は20mほども離れていた。


隣家(先日のお酒の人ではない隣家)から、スナップエンドウをいただいた。私のスナップエンドウはまだ小さい。
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そういえば、アサリの旬期であることを忘れていて慌てて酒蒸し。
それほど工事に神経がいっていたのかと目覚めた。

明日は早朝の畑作業としたいのだが。
今夜は、本、沈まないかなぁ。


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カエデ [日記・雑感]

4月15日、シニア対策工事の最終としてFさんが来てくれた。
ついでにベランダ置きにしていたカエデを運んでもらった。台風で毎年転倒するので降ろすことにしたのだが、重くて私では運べなくなっていた。

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清姫もみじが大きくなったので、今シーズンで植え替えないと鉢から抜けなくなりそう。
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昨年、作ってみた鉢なのだが口が狭くて使い勝手が悪い。

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もう一度中国キバナイカリソウを撮ってみたが、少しシッカリ撮れたかな。
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夕食で、だんだ贅沢になってきたに福ちゃん、先回喜んでくれたカリカリはもう見向きもしないので新商品をあげたら飛びついた。
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私も、次から次へと美味しいものを求めているので、福ちゃんのことは言える立場にないかもしれない。


1月15日から始めたシニア対策外構バリアフリー工事、やっと100%終わった。
コロナと同時進行して、年寄りには大変な工事だった。コロナはまだまだ油断できないが、当方は一段落できたのでホッとしている。
建物内部は、少し様子をみてからにしたい。


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閑散 [日記・雑感]

4月14日、晴れるも強風。
11:00に友人と星が丘ギャラリーで面談予定をしていた。
すっかり忘れていたのだが、同時刻に家人さんの眼科通院予約がしてあった。2ヶ月ごと定期健診なので欠かしてはいけない。急いで友人と星が丘ギャラリーにキャンセル連絡。
いつも超満員の眼科も今日は患者さんも少なかった。

2日間できなかった小庭造りを完成させた。造園費用が25万円計上されていたので自力で回避することができた。

枝垂れ桜は来年の開花を予定していたのに、一部咲いてくれたのは嬉しい。
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源平枝垂れ桃も1輪残っていたので念のため。
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来年の成長に期待。

白矢印がこの花で、少し下の西方向に星が。
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星はこれ一つしか見られない。

色々植えていてハナカイドウの場所がが無くなってしまった。
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とりあえず鉢植えにしておくしかない。

今朝も福ちゃんは、青花観賞。
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みなさんからコメントをいただきありがたく思い、暫定「垣通」に。
名前を忘れたと思っていたのに、そうではなく盆栽の友人が盆栽展で購入してきたものを私が購入したものだと気づいた。鉢と土を購入したもので何が出てくるのかお楽しみのものであったことを思い出す。


夕方、食料の買い出しに出かけたスーパーも空いていたので、みんな自粛しているようだ。
通りがかった「石見の喫茶店」の駐車場もガラガラ、私ももう1ヶ月以上行っていないと思う。


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調べもの [日記・雑感]

4月13日、雨、いつものとおり朝の福ちゃんは花見。

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福ちゃんも、「あの花、何だろう? 」と、気になっている様子。

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1週間ほど前から咲き始めてホタルブクロかと思っていたのに違っていた。
何の花だったか記憶がない。

雨で畑作業も庭作業もできない。外出は自粛しないといけないので、月刊誌「山野草」の3冊で調べてみたが掲載されていない。
「春の青い花の山野草」で検索しても分からないので諦めた。


先週、出版された同人誌、会話文になるカギ括弧の位置がおかしい。
今日は、いっぱい時間があったので再度の勉強。
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会話文のは「字を下げる」と、なっている。

これ、私の原稿。
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を付した会話文なのだが、半角下げるのが正しい表記と思う。会話文のすべてがこのパターンになっているので残念というより腹立たしい。
PCのキーボードで縦書き仕様で「 を打てば半角下がりになるのだが。
初稿で半角下げの修正依頼をしているのに、すべての個所が直されていなかった。
他の多くの人の原稿も同じようになっている。

これ花田吾一さんの原稿。
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を付したように、半角下がりが望ましい。花田さんの横書き原稿を私のPCで縦書きに校正して印刷会社に送信しているのに、なぜこの差が出たのかが分からない。

今日は、分からないことばかりで不完全燃焼であった。
家から一歩も出なくて、PCで前かがみになっていては背中も痛くなる。
自粛している整形外科、予約入れておこうかなぁ。


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黄花イカリソウ [植物]

4月12日、曇りのち雨、昨年からポット植えのまま放置していた中国黄花イカリソウが咲いた。最近つくづく思うのだが、鉢植えよりポットの方が確実に成長してくれるように思う。
今日は外出自粛、ほとんど寝っ転がっていたので体調はよろしくない。

黄花イカリソウ
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今年の葉
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去年の葉も残っている
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さて、花後には鉢植えよりもやや大きめのポットに植え替えようかと悩む、こんな些細なことにも考えるのは平和なのか。
でも、コロナについては北海道が再び宣言しているので、ひしひしと怖さが迫って来ているように思われる。
決して油断はできない。

福ちゃんもなぜか大きなお腹をよいしょと、テーブル下に避難。
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ミズバショウ [日記・雑感]

4月11日、県知事の緊急事態宣言が出ているので不要不急な外出は控えるべきなんだが。
今年初めから進めている外構のバリアフリー工事、大詰めの小庭造園の植樹は自分でやっている。門扉の前の植木は常緑樹の樹高約2mで単木を探していたのだが、近くの店では洋木しか見つからない。
愛知県稲沢市は庭木の有名地である。やっと探した植木店の社長が、ソヨゴを掘り上げておいてくれるというので自粛もできず、マスクで覆い約束の10時に間に合うように出かけた。
この社長、ボランティアでお仲間数人と通学路にもなる公園を作っているらしい。家業は後継者が育っているので老後の楽しみだとも言う。

枝垂れ桜に枝垂れの桃公園。
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小川を作り池を作りメダカを泳がせ、ホタルも5000匹放ったらしい。
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ミズバショウも入れてみたが、ここでは育たないと言っていた。
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先日、JUNKOさんのブログ写真に、「ミズバショウをまだ一度も見たことがありません」とコメントをしたのだが、自然種ではないものの生まれて初めて見てしまったのでびっくり。

話しを聞いていると幼木枝垂れの桃園も繋がっているというので案内してもらった。
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源平枝垂れ桃を1本堀り上げて貰えないかとお願いしてみたら、応じてくれた。
当地の半額ほどでいただき、稲沢の人はいい人なんだと知る。

夕方までにソヨゴを植えて門前が完成したところ、折しも隣人から完成祝いだと私の好物、吟醸辛口蓬莱をいただいた。
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年に数日しかないいい日であったと思う。
明日は株価の乱高下のようなどん底にならないように注意したい。


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自粛 [日記・雑感]

4月10日、予定通り愛知県大村知事が独自の緊急事態宣言をした。西村大臣は予想を裏切って愛知や京都はその状態ではないと国の宣言を回避した。
都知事とのかけ引きも、中身がよく分からない。
来週も続くであろう玉川さんと田崎さんの喧嘩のようなやりとりから、推測するしかない。羽鳥さんも大変だ。


腰痛の整形外科でのリハビリマッサージを今月から自粛している。
今日の16:00に予約がしてあったのだが、さらに自粛してキャンセルの電話をした。
「コロナの関係ですか? 」と問われる。
「患者さん少なくなっていますか? 」と、訊いてみた。
「少しねぇ」と戻ってきた。


このブログも自粛を理由に、ハゼの木の新芽のみ。
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早朝の畑作業が功を奏して背中と腰痛に効果があったようだ。今朝は、肥料袋(重~い)の運び込みと燃えるゴミ袋(6袋)の廃棄のみに留めた。
やり過ぎないように注意した。


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星が丘も遠くなる [日記・雑感]

4月9日、3日連続の早朝畑作業。
植え付け可能範囲はすべて天地返しを完了して、石灰を撒いた。

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左はスナップエンドウ、右はそら豆とグリーピースなどの収穫待ち。

愛知外しをされていた緊急事態宣言、大村知事が愛知独自の宣言をするというので、おそらく国も宣言することになろうかと思う。色々政治的なかけ引きの「外し」だったのかはよく分からないが、大村さんの前言がまずかったのかもしれない。

同人誌「山波」が出版されたので、事務局が星が丘まで持ってきてくれた。久しぶりに星が丘ギャラリーで会った。互いにマスクをして1.5メートル離れての会話。コーヒーを飲むときだけマスクを下げる、変な感じ。

今回のギャラリーも陶芸作品。
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隅切り皿(動物たち)

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ひと口盃

磁器の呉須染付け食器、京都の近藤あかね個展であった。

折角の星が丘なので隣接のガーデンも鑑賞。
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ネモフィラなのかな

三越も時短にするらしく、しばらく星が丘へも行かないことにする。

帰宅後、芝桜10株を植えたところで、当市にも感染者が出たことを知った。
明日は、10日ぶりの整形外科の腰痛マッサージ予約がしてある。次の予約はしない方がいいかもしれない。
畑作業は3密には該当しないと思うので、批判されることはないだろうなぁ。
と言うか、自分のことは自分で守るということだろう。



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 [日記・雑感]

4月8日、今朝も早起きして畑作業、昨日の倍の面積を耕したうえ収穫もしてきました。

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タマネギ、春菊、ネギ

最も大きな収穫は、畑作業を2日続けたところ背中痛がなくなったことです。真面目(?)なwildboarは自粛しすぎて運動不足のため体が固まり過ぎていたようで、謎です。

菜園からの帰り道で、側溝の上に寝そべっている猫を発見。カメラを向けても逃げることもなく尻尾の先っぽを上げたり下ろしたりして挨拶してくれるのです、謎です。
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愛知県がコロナ感染者数の全国第5番目なのに、非常事態宣言都府県から外されたのがなぜなのか分かりません。人によってそれなりのコメントを聞きますが、謎です。


ちょっと時期が早いのですが、マスクをして夏野菜苗の購入に走ったところ、苗はまだ少なく、見回していて「出猩々もみじ」が目につき購入してしまいました。
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早速、好きな織部鉢に植え替えたところ、ほとんど根がありませんでした。

この赤が好きなんです。
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出猩々もみじは、日本の代表的なカエデなので育成も難しくないはずなのに、いつも失敗しています。もっと難しい小さいカエデをちゃんと育てているのに、失敗するのが謎でした。今回は、しっかり針金で根を固定しておきましたよ。

午後、OutLookを開いたところ2人の友人からメールが来ていたのですが、1人は、一昨々日アップした「だるま」さんからのもので、写真だけで文章がありません。そういえば先のメールで、「明日は大森(名古屋市守山区)にある法輪寺に行く予定。」とありましたね。

写真だけ添付のメールだったので、謎解きのように並べてみまてみした。
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八剱神社
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よく見ると、境内改修中とあるようです。
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大森寺
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法輪寺の写真はないようで、桜並木の写真がありました。

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ここは、どこなんでしょうか?


先日、水道事業団が拒否姿勢だったのに、理由を訊いたら簡単に認めた水道メーターカパーと下水道蓋の小型化工事が午後の半日で終わり、残すシニア対策工事はあと1%ほどです。



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畑作業開始 [家庭菜園]

4月7日、シニア対策工事がほぼ終わったので、今年になってから全く作業していなかった菜園、早起きして夏野菜に向けて作業を開始した。40弱の区画の70%ほどがまだ動いていない。出社前に水やりに来た若手(40歳代と思われる)2人が挨拶してくれる。
そうか、菜園でも代替わりが始まったのかと気づく。彼らは空き待ちをしていたのだ。市役所に「やる気のある人にやってもらうように、管理指導すべき」と主張していた効果が出始めたと思う。

作業前
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今朝は、この赤枠内の天地返しだけで一時間半。

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約4㎡を耕したのだが、整理した野菜くずと雑草は2袋。
体力的にはこのあたりがリミットかな。

午後は、少々昼寝をして夕食夕の具材を買いに出掛ける。
家人さんに水やりはお願いしておいたので、私は帰宅後に撮影。
今年も、昨年と同じように藤が咲いてくれた。
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先日、何の蕾なのか忘れてしまった山野草、ホタルブクロかなと思っていたのだが、どうやら違うようだ。
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調べなくては。


愛知県は外されてしまったコロナ緊急事態宣言、宣言される前からメディアが流しすぎているので、安倍ちゃんの長すぎる宣言は、ながら聞きにしていたのだが、もっと端的な要点だけの強いアピールにした方がいい。

ブログを開設してから止めてしまった日記、何かしないといけないと思い今月から復活した。




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天皇梅の鉢替え [植物]

4月6日、晴れなるも強風。
ゴミ出しの日ではなかったのだが、食料品(夕食分)の買い出しの帰りに菜園へ寄ってみた。
タマネギの葉が倒れているのでもう収穫期に入ったのかと一瞬思った。一方、このところの晴れると強風という天候の問題ではないかとも考えた。とりあえず2個だけを収穫。


今年から天皇誕生日は2月23日になっている。その日に何とか天皇梅を咲かせようと努力していたのだが無理だったので、以降、管理体制を解放していた。
やっと、満開を迎えて楽しませてくれたので鉢替えをした。


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昨年の秋に作った青磁の鉢、やっと植えるものが見つかった。やや深植えにしたのは左の長い枝を徐々に下げて懸崖仕立てにしようと考えているから。

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採りたてのタマネギは薄切りにして花かつおと醤油を掛けていただいている。スーパーで見つけた「かけるだけで酢」という冗談のような酢を掛けてみたくなった。
やっばり、いつものとおりが良かった。


毎日、ほぼ4時には目覚めているのだが、1週間ほど前からどうも背中が痛い。起床してしまえば何ともないので忘れている。今朝などはかなり痛くて、原因に思い当たった。
週2回の整形外科でのリハビリマッサージを、コロナ感染のことを考えて週1回にしていた。特にマズくはなかったのでさらに10日に1回にした。
背中痛かコロナ感染危険か、どちらを取るのか選択が難しいなぁ。


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だるまさん [日記・雑感]

4月5日、昨日とは異なりちょっと冷え込んだので、1日中閉じこもり。
このブログに時々、コメントをくれる友人である「だるま」さんからメールが届いていた。 写真も添付されていたので文章に合わせて挿入してみたのだが、だるまさんは承認してくれるかな。文中の東谷山フルーツパークとは名古屋の東北端にある多目的農業公園である。


「不要不急の外出は控えているので名古屋の中心部へは行かないことにしている。
東谷山(193m名古屋の最高峰らしい)へ登る道すがらフルーツパークの桜祭りを覗いた、9時頃だったので開園したばかりだがそれにしても人は少ない。
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ソメイヨシノは満開だが枝垂れ桜はまだ7,8分といったところか。
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東谷山は登り口が4か所あるが今日は急勾配のコースに挑戦、途中息が上がって這うようにして登る。やはり体力の劣へは何ともならない。
ものの本によると東谷山は山全体が神域で山頂には尾張戸(おわりべ)神社がある。
創始者は宮簀媛命という大和武尊の妃であり、熱田神宮と縁の深い神社だそうである。
言われてみると何となく霊気を感じる。
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山頂の見晴台から眺めると名古屋市内が一望でき、鈴鹿の山並や御嶽までも微かに見ることができる。
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下山途中にある農園の出店でタラの芽とシイタケを買う。
今夜は天婦羅で一杯だ。
明日は大森にある法輪寺に行く予定。
鎌倉時代に開かれた寺で義経の忠臣の佐藤継信、忠信兄弟とその母堂の墓がある。
佐藤忠信は歌舞伎・浄瑠璃の義経千本桜の狐忠信のモデルだ。
片岡仁左衛門の当たり役である。
こんなぶらり散歩をすればストレスも余りたまらないね。」

岐阜県から名古屋の北部を流れ伊勢湾に注ぐ庄内川の写真も添付されていた。
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私の生家があった名古屋市西区から近い庄内川はもっと汚濁していた記憶がある。 そういえば水石の友人から、綺麗な守山区あたりの庄内川石を幾つかいただいている。

このメール、よく見ると3月26日から4月3日までの、だるま(達磨)さんと浄爺さんのメールのやりとりがくっついていた。 その内容を覗いてみると、俳句と落語についてなのだが、なかなか面白い。
コロナウイルス対策で、句会もとりやめて、メールで投句と選句をしているのだろうか?
浄爺さんも共通の友人なので、2人の作句会話がよく分かる。
そして浄爺さんも、下記の公開を承認してくれるだろう。


浄爺「『人気なき・・・初音聞く』『不安げに新聞新聞睨みて・・・』、この句はいい句だと思いそれぞれ入選に採りました。ただ、『初音聞く』の『聞く』は蛇足だと思います。『初音かな」と詠嘆した方が深みが出ると思いますがいかがでしょうか。」

達磨「有難うございました。・・・小学校は休校でもチャイムはなります。・・・『聞く』より『かな』の方が俳句らしいね。

確かに「かな」の方が誰もいない校庭の風景に、余韻が感じられる、と思う。

浄爺「あなたが選んだ「恋猫や塾の帰りの学生服」は私の句です。あなたの一点だけでしたが。ありがとうございました。」

達磨「浄爺だとは思わなかったわ。エロっぽい句を詠むね。学生服でなくセーラー服なら最高点句だな。」

浄爺「セーラー服ではエロぽくなる。学生服の堅物だから面白いと思ったんだが。」

セーラー服は、エロっぽくはない、青春の淡い恋心だと思い、セーラー服に私としては軍配を挙げたい。

達磨「先日の私の俳句の中で歳時記の句ですが『歳時記の春付箋はる春の夜』にしたらどうでしょうか。」

浄爺「『歳時記の春に付箋や春の宵』としたらどうでしょう。付箋は貼るものですから『はる』はなくてもよい。夜は『宵』とした方がほんわかとした空気が出せると思います。」

達磨「さすが浄爺。いいねぇー」

春を強調しようと「春」の季重なりになっているのは、許容範囲なのかな。


同人誌『山波』に「らくだ句会編集部/らくだ句会」の記事が毎号掲載されている。寸評もなかなかいいのだが、このような作句の過程も書かれていると、面白いと思う。

風も強い日であったので、戸外へ踏み出したのは夕方の水やりのみ、無意識のコロナ対策日曜日であったようだ。
だるまさんのタラの芽とシイタケノの天婦羅、さぞかし美味しかっただろうなぁ。


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山野草動く [植物]

4月4日、シャツ1枚で庭仕事ができたほど暖かかった。
シニア対策工事はほぼ終わり、私の小庭造りも今日でほぼ終えた。山野草の鉢物も整理しながら、よーく見ると花が動いている。冬中、何もない鉢にひたすら水をかけているのも虚しかったのだが、今日のような暖かい日には感動が味わえる。
本当の春が来たぁ。

スミレしかなかった直径10㎝程度の鉢に、今年もちゃんと緑化カラマツソウが出てきた。
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名札が取れてしまっているのと、私の老人力がアップしているので何の花か分からなくなっているのだが、ホタルブクロかな。
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翁草が、今年は2つも咲きそう。
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ショゥジョウバカマ
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あと二鉢あるのだが、そちらはまだ。

環境さえ整えておけば山野草は律義だと思うのだが、小さな鉢植えでその環境を作ってあげるのが難しい。
小庭の環境が整ったら、すぐに福ちゃんが覗いている。
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これまで福ちゃんの盆栽観賞とか花見とかを、アップしていたのは正直なところこじ付け的であったのだが、どうやらこれは本物だ、と、なんて思ってしまった。

明日は小庭づくりを完成させ、来週からは放っておいた菜園の手当てと何よりも釣りに行きた~い。


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間一髪 [日記・雑感]

4月3日、所用で市役所へ出掛けた帰り道、左前方から自転車が来る(黄色の矢印)。自転車は下り坂、私は上りになる。

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この時の私の速度は30㎞くらいだったかな。

左から車が来た(赤矢印)
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自転車が衝突を避けられるか、というか、当方の前へ飛ばされたら危ない。
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衝突
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車は右を見ていたのだろう。停まらなくては(-_-メ)

私の前へ跳ね飛ばされそう
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立ち直った
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私に衝突することもなく、私は対向車がなかったので右へ避けることができた。
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この後、私は左へ寄せて停車、後ろを見ても運転者が出てこない様子だったので、私が車から降りで、戻ったうえ子どもに声を掛けた。
「ケガはないの?」
「大丈夫です」と、ちょっと無理している感じ。
「自転車は壊れていない?」
「大丈夫です」
車から降りてきた運転者が、何か被害者であるようなムード。
車には少しキズがあった。

角の家の人もちょうど目撃していたようで、「警察へ!」と。
運転者が、そうしようと携帯から警察へ連絡したので、もう大丈夫と判断。

ほんのわずかなタイミングで、自転車の子が飛ばされていたら私が轢いてしまう結果になっていた。
何が起こるか分からない。


市役所庁舎前で見たチューリップが大きくて綺麗だった・・・。
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明日も安全第一で、暮らさなくては。



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宮島五葉松 [植物]

4月2日、新年度にあたり設定しようとしていた年間目標はまだなのだが、とりあえず、このブログでこれまで家人、家人と云っていたことについては、今後は「家人さん」と呼ぶようにする。


1月から始めていた工事、今日、フェンスができたのでほぼ工事完了と言っていい。
お世話になったFさんも、細部の調整作業をしてくれて私も造園士さんになったつもりで小庭作り。

宮島五葉松
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義父から引き継いだ、この五葉松盆栽、18年育ててきて一人では手入れするのも難しくなって置き場にも困っていた。今回のシニア対策工事で小庭にスペースができたので置き替えようと、Fさんとフェンス工事の職人さんに手伝ってもらって移動した。

断続的に1日中、庭作りをしていたので晩酌用のそば焼酎が切れていたのを忘れていた。
これは重要な仕事だと、夕方に近くのスーパーへ走る。
何日か前、咲き初めだった名古屋市名東区猪高緑地の桜が、満開であった。

例によって、ドライブスルー撮影。
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一昨日で今年の桜鑑賞は終わりとしていたのだが、通りかかればやっぱり立ち止まる。桜はみんながそうする魅力があるのだと思う。


コロナが今日も拡大している。TVで日ごとの右肩上がりのグラフ表示をしなくなったように思うのだが、気のせいなのかなぁ。


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君子蘭、揃い組にならず [雑感]

4月1日、今年も早くも1/4が経過。
第1の人生が学校を卒業するまでの22年、第2は会社勤務時代の38年、第3の老後域に入った人生が早くも13年目に突入。
早すぎるというのが実感。
ましてや今年初めからは、バリアフリー外構工事に係わっていただけで3カ月が、あっという間に経過してしまった。
生きる目標は、第1が家人より長く生きること、第2を美味しいものをいただくことにしているのだが、今後の12年は、うかうか過ごさないように年間目標も設定しようと思う。
ちょっと、考えてみることにしたい。


かつての上司からいただいて3鉢に株分けをした君子蘭、同じ環境に置いていたのだが、揃って咲くにはいたらない。1番早かった左側が老後域に入るので3鉢揃えて撮っておいた。
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真ん中の花が、勤務時代の旬。
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1番右はまだ蕾、私の老後域もまだ蕾であって欲しい。若い頃は長く生きるということは考えもしなかったのだが、70歳を越えたころから健康に長く生きたいと考えるようになった。

令和2年度4月のカレンダー
盆栽カレンダー。
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真柏
評 「力強い水吸いとシャリの捻転、大きく残されたジン芸が野趣を高めています。また右に張らせた枝が利いており、右への流れを見せながらも、左の受け枝が見事にバランスを保っています」

はるかぜや 草木に動く 日の光   蘭更

魚拓カレンダー
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ヘラブナ

初めて釣りを知ったのは、小学校3年くらいの頃か、父が連れて行ってくれたフナ釣り、中学1年の頃は父離れして友人2名と行っていた。
今では完全に海魚しか興味がない。

年度末の昨日は、気ぜわしく忙しい日であったのだが、一転今日は、雨ではあったものの落ち着いた穏やかな日になった。
そろそろ、心穏やかに日々を送るべきと思うのだが・・・。


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ドライブスルー花見 [日記・雑感]

3月31日、現役を離れて12年も経過したのに、忙しい年度末であった。
自宅のバリアフリー外構工事も、ほぼ完了なのだが最終的な細部の上下水道工事については行政と掛け合って、業者に指示するのも自分でやるしかなく、すべて決着をつけて工事日程も決めさせた。
本来であれば、業者が行政と掛け合うべきなのだが、業者が委縮しているようで、行政から無言の圧力があるのではないかと思ってしまった。
年度末の今日中に完了を見たかったのだが、今月になって雨も多かったのでずれ込んだ。


コロナの影響で、週2回の整形外科への通院も1回にしていたのだが、今日は今後しばらく10日に一度の通院にすることを、院長へ告げてきた。
通院の際、ふと気づくと桜が満開であった。通り道にゴルフ場があるのでちょっと一週ドライブスルー花見をして、今年は終わりとしておく。
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行った整形外科には、除菌・消臭ミストも噴霧されていた。
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マッサージを終えた直後、厚労省からのLINEも入ってきた。
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新年度を迎えるにあたり、大きな変化が現れるような気になる。

同人誌「山波」も、今日無事印刷の運びとなり4月9日に届きそう。昨夜は私の原稿に印刷設定のミスが見つかり、チェックに時間を要した。今年1月以降、みんなの調子が狂っているみたい。明日からは、穏やかな日であって欲しいと願うばかり。


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