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名古屋市西区浄心 [回想]

12月23日、天皇誕生日にあたり「平成が戦争のない時代として終ろうとしていることに、心から安堵しています」とのお言葉。
まだ、わけもわからなかった幼心に戦争に強い恐怖心を持っていたことが思い出されます。


昨夕、名古屋市西区浄心で開かれた高校時代の友人らとの飲み会、久しぶりに参加しました。ここ浄心は、在学していた高校が近くにあることと大学時代のアルバイト先が近くにあったこともあり、懐かしい所です。
夜呑みは避けていたので、もしかすると、ここへ来ることはもうないかもしれないと思いながら出かけました。退職後、この会に誘ってくれたAさんのおかげで同窓の新たな友人を得ることもでき、2度目の思いでの地になっていました。


名古屋市バスを経て地下鉄本郷駅で乗車
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家から1時間強で浄心に着きます。
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ここを北へ歩きます、昔はもちろん地下鉄駅も高架の名古屋高速道路もありませんでした。
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酒が強かったし、下町情緒が好きなので目的地に着くまでに、時々この店にも寄っていました。
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この店も昼呑みを始めたようです。
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さらに北へ進みます。19歳の頃、この先の交差点でスーパーカブを運転していて乗用車と接触事故を起こし転倒。若かったので「大丈夫です」と別れたことも思い出します。本当はかなり痛かったのです。
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目的地に着きました。ここの店主、名古屋の中心部にある料亭で修業したというだけあって、旬の材料でいい味を楽しませてくれます。
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1人だけが、料理写真を撮るのは無粋だと思い遠慮してしまいました。

すっかり酒も弱くなっているので、〆はファミリーレストランで甘いものです。
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10年前には、考えられないことでした。

店主は、前もって言ってもらえば昼呑みでも応じてくれそうでしたが、参加者にはまだ現役の奉仕者もいます。
次回はやっぱり夜呑みになりそうなので、もう参加できないと思います。

やっと年賀状の作成にかかりましたが、プリンターのインクトラブルで思わぬ時間を消費し、80%の完了での明日に持ち越しになりました。

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盆栽の購入先 [回想]

12月12日、今年の一文字は「災」、総じてマズイ1年であったということでしょうか?
私にとっても、まるで「災」のようなことが三つあったと思います。そのうちの一つである「菜園問題」の顛末については、やっと明日から報告できます。



所属していた盆栽連盟の友人と、盆栽カレンダーの入手を兼ねてB盆栽園へ行ってきました。退職して、盆栽に力を入れ始めたころ、独りで始めたので盆栽がどこで売られいているのかも知らなかったのです。60歳で本気になるには遅すぎて、若木を購入して育てて改作していくしかありません。職から離れてから始めた人たちは、同じようことを言っています。
当時、やっと見つけたB盆栽園、何度も通いました。その後、盆栽の雑誌で各地の盆栽展で即売会があることを知り、B盆栽園から離れていました。

B盆栽園
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許可を得て撮影しました。

近くの風景
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名古屋鉄道黒笹駅の近く(みよし市)
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即売会以外で入手することは稀ですが、久しぶりなのでお値打ち(尾張地方の用語)品を2種購入しました。
両方とも鉢替えするだけで、もっと見栄えがするのではないかと思います。

錦糸南天、難を転ずる縁起木
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根上がりのサツキ、花を咲かせるのが難しい「珍山」らしいが葉姿だけで楽しめるようです
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盆栽連盟のその友人が、今年も正月用寄せ植えをプレゼントしてくれるというので小さい物を希望していました。
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正月飾りとしては小さい物の方が難しかったなと希望したことを反省しています。
B盆栽園でもこのサイズの梅、松はありませんでした。福寿草も2芽入っていて配慮が感じられます。
正月までに何とか梅と福寿草を咲かせてあげれば奇麗だろうし、お礼になると思います。しかし、福寿草はかなり難しいでしょう。
上手くいったら、また報告します。

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陶芸の原点 [回想]

転勤で岡山に3年いた時、後楽園に流れる旭川の県庁付近の河原で、毎月第一日曜日に朝市が開かれていました。社宅がその近くにあったので、ほぼ毎回顏を出して野菜、花、木製品、備前焼、食品、骨とう品などその他いろいろな店を覗いていました。毎回必ず覘くのは花と備前焼です。顔見知りになった店主とは、名古屋人らしく値段交渉などの会話をしたことも今では楽しい思い出になっています。

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胡蝶蘭を追い求め育成を始めたのも、この時の花の店の影響です。また、退職後始めた陶芸もこの時購入した備前焼の影響によるものです。すっかり備前焼に魅かれてしまい、小遣いの範囲の購入なので毎回5000円までと、自身に縛りを掛けていましたが飛び出たことも多々ありました。

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朝市の付近は、岡山市の中心部で後楽園、岡山城をはじめ風光明媚な地域ですが、当時は写真の趣味が全くなくて後悔しています。残っているものは購入した備前焼のみで、それとても、現在の当地での知人・友人らに散逸し、集めてみたら掲載したもののみでした。

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どうやら無意識のうちに花入れを好んでいたようです。

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これは重いです。量ってみたら5.6kgありました。「重量で値段が決まるのです」と冗談を言っていた地元の鑑定を業とする人もいました。

岡山を離任する時は、1点だけ高級な備前焼を購入しておこうと思っていたのですが、4月1日付けの転勤が発表された直後の3月16日に母が亡くなり、3月24日には次なる勤務地の広島で芸予地震(広島県、愛媛県に大きな被害)が発生、4月1日の着任日を早めなくてはいけないと転居準備も慌ただしく、備前焼店舗を回ってみる時間がありませんでした。

お手軽な「鬼は外、福は内」のぐい吞みだけを、翌々年に名古屋へ戻ることが確実であったため土産品として何セットとか購入しておきました。
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定年後の陶芸教室で同じようなぐい吞みを2個作ったら、先輩の人が欲しいとおっしゃるので1点を差し上げ、駄作の方が残っています。
やはり備前でないとあまり呑む気にはならない作品です。
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先月から再開した陶芸、今月はスケジュール調整ができず9月1日には忘れずに次回の申し込みをしなくてはと、30日に陶芸教室の開催日を確認したしだいです。

私の陶芸の原点は、備前焼に魅かれたことのようです。一時は見たことがない備前焼きの盆栽鉢が欲しいと強烈に思っていました。

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『釣行記』見つかる [回想]

名古屋の同人誌に『山波』がある。先回の春号が188号であった。
季刊誌で188号なので歴史は相当なものである。
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名古屋市文芸創造団体活動助成金事業として認可を受け、名古屋市の全図書館にも所蔵されているはずである。昨年、他界された同人誌評論家の清水信氏も辛口であったが、何度か中日新聞の書評の欄に取り上げていた。
   
今、同誌における喫緊の問題は同人の高齢化に伴い、同人・会友が激減し原稿数のみならず資金的にも苦しく存続が危ぶまれていることである。長く続いたものなので廃刊するのは忍びない。

事務局から「何か書いてよ」とお鉢が回って来たので、これまでに7回投稿し、次号で2年間分協力することになる。
先回の188号では「ラヘンダー」と題して、安倍内閣について「森友、加計学園、自衛隊の消えた日報問題などが、ラベンダーの花言葉である疑惑・沈黙・不信感などと、ぴったりと一致する不思議な花である」と結んだ。
その中の文に、廃棄されたはずの日報が見つかったように、廃棄してしまったと思われる私の「釣行記」も見つからないかと修飾文的に挿入していた。

先日、朝から不愉快なことがあり気持ちを落ち着かせようとパソコン周りの本棚整理をしていたら、思いもかけず偶然に見つかった。ほとんど諦めていたので感動的ですらあった。
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昭和52年6月~昭和60年8月までの8年間、135回に及ぶ釣行の記録だけでなく、購入した釣り道具や新聞などの釣り情報などについても記載、あるいは貼付している。
最も多いのが静岡県清水港折戸湾でのメジナ狙いの夜釣りについてであるが、その他全く記憶のないこともたくさん記されていた。
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清水港の夜釣りでヒットした瞬間。
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写真中、四角の白いものはタバコと思われる。当時愛煙家だったので大きさ比較にしたもの。
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クロダイも釣れる。
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今では、もうこのようなハードな釣りはできない。今年2回、サプライズがあった愛知県知多半島片名漁港あたりがせいぜいである。

ところが、この釣行記には片名漁港については6回しか記録がない。しかもすべて不釣録である。
片名漁港についての記録は、これから記録していくことになるのかもしれない。

昭和60年秋で突然に釣りを止めることになったのは、これから清水港の季節になると思っていた矢先に発生した大事件のために行けなくなったからだ。その事件こそが『山波』179号~183号に連載投稿したものである。
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マンガって、漫画? [回想]

現役時代の若いころ、「マンガ」の事故通知が飛び込んできた。マンガって漫画のことではないだろうし、いったい何なのだろう?と思い、質問しながらの調査であった。
マンガとは貝類を掬い採る網状で金属製の熊手のような道具であることを知った。その事故は、船に取り付けて使用するような、やや大きめなものであったと記憶している。確か賠償事故だったと思うが、「マンガ」というものが何なのかを知った以外の記憶は、ほとんどない。

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知多半島半田市の阿久比川でハゼを釣って、そろそろ片名漁港へ移動しようかと思っていた時、かなり高齢の男性から「シジミ採りをマンガでやるが、よろしいか?」と声をかけられた。一瞬、この川にシジミがいるのか? 釣りに迷惑になるほど大掛かりのものなのか? などということが頭をよぎった。
「もう、釣りは止めますからいいですよ、見学させてもらっていいですか? 写真を撮らせてもらっていいですか? 」などの逆質問。
了承を得て見学し撮影。

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男性は川の中央部へ進み、その場の水深は膝下。この時、満潮時から約150cmほど潮が下がっていたので、この川の水深は大潮の満潮時で約2mほどと推定ができた。

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その人はマンガを川底へ投入し、川底を掘り起こすように前後に揺さぶる。マンガの中にシジミが入っているのを確認して、手製台船上に保存する。そしてまた数歩進み同様の作業を行う。
河口に近い所なので水は見た目より綺麗であり、シジミ採りも十分行えるようだ。

今回の釣行では、若いころの仕事のことを思い出して、今更ながら実地見学をしたり、普通ならば見落とすはずのものに気付くとか、色々見識を深めることができた釣行であった。
釣りに対する余裕ができてきたのかもしれない。
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