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生還② [日記・雑感]

12月20日(火)曇り、このところ新しい生活スタイルの基盤作りに努めていました。


12月1日、午後1時ころ緊急手術室へ入って、すぐに医師や看護士さんらが両手と右足太ももの付け根辺りの血管を確保し針を刺したり、尿道管を挿し込んでいました。一番痛かったのは尿道管でした。その前後が定かではありませんが、医師から心筋梗塞であることが告げられ詰まっている部分の冠動脈(左の一番太い血管と聞いたような記憶)を風船で膨らませステントを挿入するとの話でした。
同時だったと記憶しているのですが、
「どこまでやりますか? 」と訊かれました。
意味が解らなかったので、
「どういうことですか?」
「心臓マッサージは? 」
「やります」
「電気ショックは? 」
「お願いします」
「人口呼吸は? 」
「ううん~~、やらなくて結構です」と、家人さんに別れを心の中で告げました。今生きることの第一目標は家人さんより長く生きることだったので、その時は申し訳ないという思いでした。

左半身が異常に寒くて「左肩が寒い」と、術中に何度も発していたと記憶しています。
看護士さんが対応してくれていましたが、あまり効果はなかったような。
30分くらい経過したころ医師に、
「今は手術の過程のどのあたりですか? 」と質問。
「血液内のゴミを濾過しています」、だったので手術はまだまだこれからなんだと変な納得をしたしだいです。
2時間の手術とその後3時間ほど経過した時、主治医らしき先生から説明を受け、「心臓の壊死した部分は戻りません。半分死んでいる部分をこれからゆっくり回復させるようにします。無理をするとその部分は豆腐のように柔らかいので潰れやすく潰れたら終わりです。そのために今後の生活がかなり制約されますが少しづつ頑張っていきましょう」ということでした。
「術後5時間の状態としては如何がですか? 」
「合併症が生じない程度の悪さです」
(・・? (@_@。
合併症が生じてはいないものの、楽観できないほと無理はできないものである、と勝手に理解したものです。
その夜の集中治療室での記憶はあまりないのですが、不思議なことにあんなに長い間痛かった腰の痛みがないことと、尿が出るときに時々局部に痛みがあり何とかならないものなのかと苦しんでいたことを覚えています。

翌朝、看護師さんが運んでくれたおかゆをいただき、看護師さんに、
「なんだか力が入ってきたようです」と。
若い看護師さんは親指を立てて、「え~ぃ! 」。
あー、親指を立てるのはこういう時なんだと知って、心の中で家人さんに「とりあえず約束は果たしたぞ!」と思わず落涙・・・。



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話は戻りますが、心電図の異常に気付いた検査士が呼吸器科の問診医に心電図を送ったのでしょう。
問診医のところへ戻った時、
医師が「(胸の痛みの)原因はストレスですね」と。
後で知ったのですが心電図は単に滑らかだとか鋭角的に激しいとかではなく、読み解くポイントがいくつかあるようです。
直近(9月末)の血液検査でもコレステロールは正常値、中性脂肪がやや高い程度。ストレスはかなり抱えていたと思います。


  初雪のさらりとかゝる鉢木かな  清風

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12月の盆栽カレンダー  清玄もみじ


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