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生還③ [日記・雑感]

12月27日(火)、週1回のペースで心筋リハビリに行っています。
かなりキツイので通院した日はベッドに倒れ込むような疲労です。運転できないのでタクシー通院。往復とも数日前から予約をしておかないと、来てもらえない状態なのでこれがなかなか大変。
それと心臓の近くがあっちこっち痛いと、不安が大きく恐怖感を覚えていました。
昨日あたりからその痛みはいわゆる筋肉痛的で意識しなくてよいのかな、というとろまできました。併せて昨日のリハビリは若干抑えたので疲労感もなく、今朝から顕著な元気さを感じ始めました。術後4週間になろうとしていますからね。(^^♪


大病院の主治医が紹介してくださった、近くの循環器クリニック。
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循環器でも心筋リハビリをやっているところは少ないのでありがたいことです。

我が家の鉢物は盆栽の友人が全部引き上げてくれて管理してもらっていますが、我が家に戻って私が今後管理できるのは数鉢だろうと思います。
小庭の万両。
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話を戻すと集中治療室から個室に移って3日目にベッドから降りてやっと立つことが許されましたが、酷いめまいで室内歩行は禁止。そして心電図が首掛けの携帯式になりました。それまてはベッド横のモニターが何かと異常音を発すると不安も大きかったです。4日目に心臓核医学検査を行い。その結果を踏まえ主治医から説明を受けました。
後からの情報も併せて要約すれは、病名急性前壁心筋梗塞、左前下行枝近位部に99%の狭窄があったということです。(狭窄部の画像もありますが、ちょっと強烈なのでアップは差し控えます)
これまでの私の知識では、心筋梗塞は耐えられない痛みで失神するほどのものだと思っていたので、心筋梗塞とは夢にも思わず何か強い薬でも処方してもらえば治るのではないかと思って大病院へ走ったわけです。
聞くと珍しいケースで進行が間欠的であったためだろうと、一挙に来たものではないということです。その意味で発症日が特定できないというものです。

新年を迎えるにあたりあまり病気の話もよろしくないので、今年はこれで終わります。一つだけ参考になる話を続けますと、一番困ったことは「いきんではいけない」と強く云われていた排泄のことです。少しは、いきまないと出ないので、その塩梅が分からずとても苦労しました。少し痔の問題が発生していますが、意外とスルリと出る方法を発見しました。
それは便座で万歳の姿勢をとることです。
介護員の方にも教えてあげたら「いいことを聞きました、皆さんにアドバイスします」とおっしゃっていました。
毎朝、励行しています。


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生還② [日記・雑感]

12月20日(火)曇り、このところ新しい生活スタイルの基盤作りに努めていました。


12月1日、午後1時ころ緊急手術室へ入って、すぐに医師や看護士さんらが両手と右足太ももの付け根辺りの血管を確保し針を刺したり、尿道管を挿し込んでいました。一番痛かったのは尿道管でした。その前後が定かではありませんが、医師から心筋梗塞であることが告げられ詰まっている部分の冠動脈(左の一番太い血管と聞いたような記憶)を風船で膨らませステントを挿入するとの話でした。
同時だったと記憶しているのですが、
「どこまでやりますか? 」と訊かれました。
意味が解らなかったので、
「どういうことですか?」
「心臓マッサージは? 」
「やります」
「電気ショックは? 」
「お願いします」
「人口呼吸は? 」
「ううん~~、やらなくて結構です」と、家人さんに別れを心の中で告げました。今生きることの第一目標は家人さんより長く生きることだったので、その時は申し訳ないという思いでした。

左半身が異常に寒くて「左肩が寒い」と、術中に何度も発していたと記憶しています。
看護士さんが対応してくれていましたが、あまり効果はなかったような。
30分くらい経過したころ医師に、
「今は手術の過程のどのあたりですか? 」と質問。
「血液内のゴミを濾過しています」、だったので手術はまだまだこれからなんだと変な納得をしたしだいです。
2時間の手術とその後3時間ほど経過した時、主治医らしき先生から説明を受け、「心臓の壊死した部分は戻りません。半分死んでいる部分をこれからゆっくり回復させるようにします。無理をするとその部分は豆腐のように柔らかいので潰れやすく潰れたら終わりです。そのために今後の生活がかなり制約されますが少しづつ頑張っていきましょう」ということでした。
「術後5時間の状態としては如何がですか? 」
「合併症が生じない程度の悪さです」
(・・? (@_@。
合併症が生じてはいないものの、楽観できないほと無理はできないものである、と勝手に理解したものです。
その夜の集中治療室での記憶はあまりないのですが、不思議なことにあんなに長い間痛かった腰の痛みがないことと、尿が出るときに時々局部に痛みがあり何とかならないものなのかと苦しんでいたことを覚えています。

翌朝、看護師さんが運んでくれたおかゆをいただき、看護師さんに、
「なんだか力が入ってきたようです」と。
若い看護師さんは親指を立てて、「え~ぃ! 」。
あー、親指を立てるのはこういう時なんだと知って、心の中で家人さんに「とりあえず約束は果たしたぞ!」と思わず落涙・・・。



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話は戻りますが、心電図の異常に気付いた検査士が呼吸器科の問診医に心電図を送ったのでしょう。
問診医のところへ戻った時、
医師が「(胸の痛みの)原因はストレスですね」と。
後で知ったのですが心電図は単に滑らかだとか鋭角的に激しいとかではなく、読み解くポイントがいくつかあるようです。
直近(9月末)の血液検査でもコレステロールは正常値、中性脂肪がやや高い程度。ストレスはかなり抱えていたと思います。


  初雪のさらりとかゝる鉢木かな  清風

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12月の盆栽カレンダー  清玄もみじ


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生還 ➀ [日記・雑感]

皆様からお見舞いや励ましのお言葉をいただきありがうございました。 何とか自宅での生活の基盤を作り直すことができました。 これからはゆっくり、細く長くを目指していこうと考えています。 一週に一度の更新ができればと思っていますので、引き続きよろしくお願いいたします。


12月13日(火)

三途の川を渡り始めたところで戻ってきました。
正直なことを言うと、六文銭が用意できず渡し船に乗せてもらえなかったのです。

12月1日(木)、朝9時前かかりつけ医へ寄って院長(担当医ではない)に「紹介状」を書かせて大病院まで自身の運転で走りました。院長が薦める病院を拒否して私が選択した病院です。
迷路のような大病院の中をウロウロと痛みに堪えて胸部レントゲン、血液検査、心電図、胸のCT検査の順で回り始めたところ、心電図検査を終えたときに問診医(呼吸器科)の診察室へすぐに戻るように、と云われました。
戻ったら、いきなり車いすでどこかへ運ばれ、着いたところは緊急手術室。遅いじゃないかーと言わんばかりにわっーと医師や看護師らに囲まれ、私は「集中治療室みたいいだねー」とまだ軽口を叩いているのに、もう手術が始まっていました。
心臓です。

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12月9日午後、退院時の大病院のロビーで。

連続更新が途絶えたのは残念ですが、話せる範囲で貴重な体験を独り占めしないようボツボツ更新していこうと思います。
ご心配をいただきありがとうございました。


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