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守山そぞろ歩き(2)大森篇 [だるま広報]

4月30日、最高気温26度の夏日であった。
バリアフリー外構工事の期間中、借りていた駐車場の雑草刈りが今日終わった。60坪の空き地の一部を駐車場として借りていたのだが、借り上げ条件が雑草刈りをするということであったので、これにて完全に工事が完了したことになる。地主さんに報告をしたら、ご丁寧に「お礼」としてお菓子をいただいた。草刈り費用は当然に負担しているのだが、直近でお借りできたお礼をしたいのは当方であって、気持ちのいい日であった。それくらい単独の草刈り作業依頼は難しいのだろうか。いただいたお菓子はFさんにも半分お渡しして、また遊びに来てくれるようにと、とりあえずのお別れとした。


カマツカが咲いた。毎年、花はつけてくれるのだが年々実が少なくなってきている。
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今年は肥料を多めに入れて、花にはホルモン剤を噴霧したので回復してくれるだろうと期待している。

昨日の小品イチョウの台座の焼き印。
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網走刑務所と押してある。
愛知県みよし市に名古屋刑務所があり、そこの矯正展で購入した台座。受刑者の改善更生を目的とした刑務作業での作品。素晴らし作品が出展されているので何年か連続してこのイベントの鑑賞をしていた。今年はコロナで中止になるかもしれない。


さて、だるまさんの2本目の文章を紹介したい。
だるまさんの昨日の法輪寺に関する佐藤嗣(継)信・忠信兄弟の件については、昨夜、眠ってしまわないように努力して『新・平家物語』の該当部「やしまの巻(続)」を再読して確認できた。
継信は身をもって義経の前に立ち、あるじの盾となって矢を受けた。「わっ、兄者人っ」と弟忠信。そこで義経が「忠信、かぶとの緒を解いてやれ。重かろう、わしが抱いてやる」と、心が揺さぶられるシーンであった。


     守山そぞろ歩き⑵大森篇
           大森寺から八剱神社へ

                    東谷山六兵衛

 法輪寺を出て北へ向かうと名鉄瀬戸線の踏切がある。「チン チン チン」ちょうど遮断機が下りた。見慣れた真っ赤な電車が通り過ぎていく。コロナウイルスの影響か車内の乗客は普段より少なく見える。踏切を渡ると線路脇に小さな観音様が建っている。昔、踏切事故で亡くなった子供を慰霊するのだそうだ。
 近所の方なのかお菓子と花が供えてある。
 前方に金城学院大学のチャペルが見える。
 其れかあらぬかこの辺りの町名を弁天が丘という。「コンニチハ」、すれ違う人は皆マスクをはめていて、表情を窺い知ることはできない。顔半分を隠しただけで人間がまるで無機質なロボットのように見える。
 大森寺山門の右手に「興旧山大森寺、尾張藩主瑞龍公御生母菩提所」と刻まれた石柱が建っている。瑞龍公とは二代藩主光友公の事である。御母堂乾の方については次のようなエピソードが語り継がれているという。
 初代藩主義直公が大森村に狩りに出た時、ご無礼にあたると盥で行水をしている老爺を盥ごと持ち上げて奥に運んだ娘がいた。義直公はその剛力にいたく感心し、この娘ならば立派な跡取りを生んでくれるだろう、と側室に迎えた。(正室は春姫であり子供がなかった)
 そして生まれた子が二代藩主光友公である。
 光友公は寛永十四年(一六三七)、生母乾の方(法号 歓喜院)の菩提を弔うために江戸小石川伝通院内に歓喜院という浄土宗の寺を創建した。寛文元年(一六六一)この地に移し、寺号を歓喜院大森寺と改めた(名古屋市教育委員会編)。
 本堂の裏手には歓喜院の宝筐院塔(供養塔)があり、苔蒸した台座には「歓喜院殿花株紅春大禪定(?)尼」と刻まれている。
 さらに奥に入った墓地には歓喜院の墓があると聞き、熊笹をかき分けて墓地に辿り着いた。人っ子一人いない墓地はあまり気持ちのいいものではない。木の枝を揺らす風の音にもビクリと振り向く。百体以上ある墓石の中から五段に詰まれ、歓喜院と刻まれている墓石をやっと見つけて手を合わせる。墓前には花が供えてある。墓の前に「御浄財」という箱が置いてあるのには思わず苦笑してしまう。
 大森寺を後にして西に少し歩くと八剱神社の大鳥居が見える。入口に立派な御影石に刻まれた「八剱神社由緒」を観ることができる。
 由緒には延暦十二年この地方の豪族山田の連(むらじ)によって創設された、と記されている。
当社には須佐之男命、日本武命、天之火命の三柱が祀られており、熱田神宮の別宮で宝剣をご神体とするところから八剱宮と呼ばれている。いずれにしてもこの八剱神社は古代より大森の人達が受け継いできた守護神であり、毎年十月十九日に大祭が行われている。
 大鳥居を潜って見上げると高い石段があり、登り切ったところに拝殿がある。息せき切って登るが石段は拝殿まで百㈣十㈡段あった。
 本殿の横には金ノ社、山神社、熊野社、神明社、白山社、さらにその横に秋葉社、天王社、多賀神社、御嶽社、大弁財功徳天社が鎮座まします、少し下ると天神社、撫で牛が可愛い眼をして横たわり、その横に天神様ゆかりの筆塚、西参道の降り口には棒の手記念碑まで建っている。この神社には八百万代の神様が御座しますようである。これだけの神様が同居していると人間社会と同じで争いごとが起きないだろうかと思うのは下種の勘繰りだろうか。歳旦には大森寺で除夜の鐘を突き、八剱神社で初詣という穏やかな新年を迎えられることを切に願うばかりである。

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だるまさんのそぞろ歩き、次は北へ上がって春日井市に入るらしい。
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