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安倍三代 後編 [だるま広報]

9月15日、家人さんが脊柱管狭窄症の治療であるオパルモン注射を、今日はもう勘弁して欲しいと起きられない。連続して打ってこそ効果が現れるのだから今月はあと4日頑張りましょうと、あの手この手で説得をしても無理だった。
「連続して来れます」と、医師との約束もあり、昨日も「続けましょうね」と言われ「はい」と答えているのだから、私だけで病院へ行ってきた。
「もう11本打ったのだから、どうしても無理なときは来なくていいですよ。その程度の話であればわざわざ来なくて電話でいいですよ」と言われた。
人との接触は信頼関係があってこそであり、特に医療はこの信頼関係によって良い治療が受けられると信じている。
今日、私が電話で済ませば、医師からすれば「なんだ、来れなかったじゃないか」で、信頼関係が崩れることもある。
これで次からは「すみません、今日はパスします」で済ませられると思う。


昨日の続きである、だるまさんの読後感想「安倍三代」であるが、いよいよ強運で生きてきた安倍晋三に触れていく。
新総裁選出をとらえた、だるまさんの狂歌を一つ。

  勝馬のオッズ1倍出来レース永田町には八百長ありや  だるま

少なくとも、今回の新総裁選出の経緯と組閣にあたっては、これが国民のためなのだろうかと信頼することができない。


   『安倍三代』(青木理著)を読んで 後編
                 東谷山六兵衛

 初代、二代は政治家としての類まれなる力量を持ちながら病で、志中途にして早逝した。
 しかし晋三は第一次安倍内閣の時代に施政方針演説を行った二日後、病によって職を辞した。「政権ぶん投げ」といわれたものである。
 しかし二年間の民主党政権(あまりにひどすぎた)の後、再度総理に選ばれた。私もその当時いつまで持つかなと思っていた。しかし第二次安倍政権は「アベ一強」と呼ばれ、つい最近在職期間が歴代最長となった。 
 著者はこの晋三についてどんな子供だったかを友人知人たちから取材し、興味深い分析をしている。
 母親の洋子によると幼い時、母方の祖父にあたる岸信介首相に可愛がられ、南平台の自宅によく遊びに行ったそうである。60年安保反対デモを真似て「アンポ ハンタイ」とはしゃいで家の中を走り回っていたという。岸首相もそれをニコニコ笑いながら見ていたそうである。これ程までに溺愛されれば岸信介の信奉者になるのも無理はないだろう。
 晋三は手のかからないお行儀のいい、いわゆるいい子だったと長年晋太郎の秘書だった女性も話している。そして小学校から中学校、高校そして大学までの16年間を東京の成蹊学園で過ごす。ここでも友人たちは「勉強が特別にできたわけではなく、かといって出来ないわけでもない。スポーツでも際立って目立ったわけでもない。クラスでも積極的に手を挙げて意見をいうタイプではなかった」と一様に語っている。つまりあまり印象に残らなかった生徒である。私の周りにも沢山いたごく普通の生徒である。ただ父親が政治家であり、後を継ぐんだという話は聞いたことがあるそうだ。成蹊学園で晋三と机を並べた連中は首相になったことに皆驚いている。神戸製鋼に入社し2年間のサラリーマン生活でも特に個性のある社員ではなく上司からいえば扱いやすい社員であった。
 そうであるならば晋三はいつからまるで別人のようになったのか。安倍晋太郎の息子で岸信介の孫という閨閥だけでは説明がつかない。首相になるだけでも並大抵ではないのに、病が原因だとはいえ一度政権を投げ出した人物が再度首相になり、歴代首相の在位を更新するような大政治家(?)になったのか不気味ですらある。大方の人間は政界に入ってから変わったのではないかという。狼の中に仔羊が入りその仔羊がいつの間にか狼になったのではないかと晋三を知る人は話す。客観的には世間が民主党政権に失望し、一年ごとに変わった政権に飽き飽きして強い政権を求めていた時代の雰囲気にも合っていたのであろう。そこに世襲政治家の代表であり、サラブレッドである晋三は登場した。
 政権を支える人たちはそれを巧みに利用した。日銀と組んでのアベノミクス、集団的自衛権の行使容認を認める安保法制の強行採決、更には憲法改正、晋三を支持する右派勢力にも相互作用を及ぼす政策を次々に実行し、更に支持を広げていく。そして「安倍一強」といわれるようになると、自民党議員、官僚、そしてメディアまでが「忖度」するようになる。この本の著者の青木理氏は青年期迄の晋三を取材して、確たる政治に対する信念もなく、これを成し遂げるんだという強烈なエネルギーもない三代目の世襲政治家はどうすれば祖父岸信介や周辺の狼たちに喜ばれるのか、という思いだけで「総理大臣安倍晋三」を見事に演じているのではないか、勿論そこには政治家の核としての知も地もない、と結んでいる。小澤一郎が晋三を評して「おやじの晋太郎は運がなくて、総理の座まであと一歩で届かなかった。晋三はそういう意味では運だけは持っている」とインタビューで答えている。そういう政治家が戦後75年に渡って積み重ねられてきた「この国のかたち」を変え、また変えようとしている。
 私の周りのいわゆる無党派層も安倍支持者はほとんどいない。スローガンだけは目まぐるしく発しているが殆ど食い散らすだけで達成されていない。それでも内閣支持率は50%を切ることはない。そうする周りも大政治家のように扱う。独裁者は民衆の熱狂の中で生み出されるという。何となく不気味で怖しい話ではないか。
 前述のとおり、安倍首相は持病の潰瘍性大腸炎のため二度目の退陣をすることになった。
 退陣前の内閣支持率は32%近くまで下がっていたが、退陣表明後の支持率は50%近くに跳ね上がった。病気退陣という理由での判官贔屓という一面があるにしろ、内閣支持率が上がるという現象はよくわからない。
 自民党大多数の派閥は「安倍政治の承継」ができる政治家として後継に菅義偉官房長官を推している。開票結果を待つまでもなく殆ど決まりである。この先、菅首相による「第三次安倍政権」になる事はほぼ確実であるがとりあえず表舞台から安倍晋三は退場した。
 石橋湛山流に言うならば「病による退場もまた社会奉仕」という事になるだろう。
 コロナ禍によって奇しくも露呈された日本の社会基盤の弱さを変革していかなければならない時に「安倍政治の継承」とは……。
 長老による密室政治が罷り通るこの国は本当に大丈夫かと暗澹たる気持ちになる。


蕾が咲きそろったら撮ろうと思っていたのに、常に住み着いていたバッタを保護していたので花弁を全部食べられてしまった。
P1040111 (3).jpg 

強い剪定(大改造)をして、ここは一つバッタが寄り付かないようにすれば年内にもう一度花が見られると思う。


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