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JAZZ三昧 [だるま広報]

9月22日早朝、明日から雨模様なので久しぶりに菜園の雑草整理と最後の収穫をして、2時間の労働。
朝食後は盆栽の整理までしてしまい午前中は終わる。

未明、ちょうど一眠りして目覚めていた時に、だるまさんちのロクちゃん写真が届く。昼食後PCを開いたらやはり未明に、だるまさんから『JAZZ KISSA  BASIE』の映画鑑賞感想文が届いていたので、今日はだるまデーで行こうと思う。

ロクちゃん「頭ボサボサでカッコ悪いので散歩行きたくないわ」
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「そして床屋へ行ってきた。風呂に入って髪の毛切って7,000円、ジイ(だるまwild注)さんは老人割引で1,450円。髪の量の差だな。ザマアミロ ! 」
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       ジャズな人とは?
               東谷山六兵衛

 半年ぶりに映画館に来ました。とはいっても名演小劇場という収容人員百数十人程の小劇場です。まだ続けているのかという向きもあろうかと思いますが立派に続けています。1972年に芝居もできる劇場としてオープンしていますから彼此50年です。商業シネコンでは上映されない隠れた佳作を上映し続けています。コロナ禍で入場者が50名に制限されており、チケットを買うと番号札を渡してくれて、とりあえず私は48番でした。
 この日上映されたのは『JAZZ KISSA  BASIE』。岩手県一関市の開業50年になるジャズ喫茶を5年にわたって取材したドキュメンタリー映画です。先日中日新聞にマスターの菅原正二氏の原稿が掲載されました。氏は音に拘り、JBLの最高級オーディオでレコードを聴かせます。
「便利な世の中になって音楽を持ち歩けるようになった。しかし便利を優先して感動を置き忘れてはいないか」と。
 氏のこの言葉に心打たれました。私もジャズ歴50年(とはいっても専ら聴く方だが)薄暗い店で煙草をふかしながら、難しい哲学的な(?)顔をしてジャズを聴いた身としては成程と頷ける言葉です。今ではスマホで歩きながら音楽が聴けます。斯くいう私自身そういう聴き方をしています。しかし映画に出てくる喫茶ベーシーのJBLのスピーカーから流れてくる迫力には勝てません。同じ曲でもまるで別の曲のようです。昔、入り浸っていたジャズ喫茶の大スピーカーから生み出されるベースの音はバリバリと空気を震わせ、胃下垂が治ったような気がしたものです。
 映画の氏に対するインタビューで「ジャズを聴くにはジャズな環境が必要だ。垂れ流しはよくない」と語る場面があります。これは何事も便利で軽さをよしとする風潮に対する痛烈な社会批判のような気がしました。
 オーディオとレコードに拘る氏を5年間追いかけて、カウント・ベーシーはじめ店を訪れた有名ジャズメンとのインタビュー、更に小澤征爾が語るジャズとクラッシックの違いと共通点など、思わず映画に引き込まれます。
「ジャズというジャンルはない。ジャズな人がいるだけだ」と氏は映画の最後で語ります。ジャズな人とは?氏が追求してきた音に対する拘りをもって聴くという事でしょうか。
 この映画のオープニングで原野を走る列車の汽笛をJBRのオーディオ装置からの大音響で聴かせています。
この先、ジャズ喫茶ベーシーは何処へ行くのでしょうか。

だるま俳句も届いた。
  彼岸会や馬頭観音うま揃え  だるま
    wild注 竜泉時は名古屋市守山区の天台宗の寺院、本尊は馬頭観音

それにしても、だるまさんは元気な人である。
そぞろ歩き、陶芸、絵付け、ジャズ、落語、同人誌、俳句、読書、ロクちゃんの散歩、子どもたちの見守り、自治会長、野菜作りと料理を少々。
夜遅く、朝早く、付き合っているロクちゃんも大変だなぁと思う。


夏野菜の今年最後の収穫。
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ピーナッツバターカボチャ、ミニトウガン、オクラ

今日も家人さんを黙って観察していたのだが、杖なし,伝い歩きなしでいいと思う。
それでも夕食時に「痛い」というので、私も言ってしまった。
「確実に良くなっているよ、明日は今月最後の1本を打ちにいくからね」と。
案の定、本人は歩き方が格段に良くなっていることに気づいていなかった。
痛くても歩けるのと痛くて歩けないのとは、とても大きな違いがあるのだが、そういうことも本人が勉強していくしかないと思っている。
明日からは、「良くなっている」「良くなった」を連発して洗脳してしまおう。

そうそう、夕方蜂の巣に向けて3回目の必殺ジェット噴射、一匹だけ出てきて荒れ狂っていた。これで良しと、巣を落とした。帰って来る蜂のためにとりあえず巣は未処分、明日処分するつもり。


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