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元気が出る? 「ガン闘病記」その① [日記・雑感]

4月24日、今日も静かに自粛し、福ちゃんと並んで朝日を受ける盆栽観賞で時間を潰す。 

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昨日の岡江久美子さんがコロナで亡くなったという知らせには驚いた。聞けばガンの術後放射線治療中だったらしい。そのため免疫力が低下し重症化した可能性もあると言われている。
関わっている同人誌『山波』194号が今月出版されたのだが、花田吾一さんが「元気が出る? 『ガン闘病記』」を寄稿してくれている。花田さんの場合は抗がん剤治療であるが、白血球への影響はあっただろう。コロナの時でなくて良かったと思う。花田さんがこんなにも大変な思いをしていたのかと初めて知った。
暗くならないように面白く書いてあるので、ぜひ紹介しようと本人の許可を得たのでアップ。
ちょっと長いので3日連続に区切ることにしたい。
明日は、ビックリするようなことが記されているので、ぜひ今日の3372字を読んで欲しい。


     元気が出る?「がん闘病記」

                    花 田 吾 一 


 私の弟は、数年前にまだ60代で亡くなっている。
 母親が92歳という、ある意味、天寿を全うしてからわずか4か月後のことだった。  
 予想もしていなかった弟の死に面して思い出されたのが、1952年の黒澤明監督『生きる』という映画である。次作『七人の侍』で侍たちのリーダーを務めた志村喬主演の映画だ。冒頭、主人公の胃のレントゲン写真が映し出され、「胃がんの兆候が見える」とナレーションが入る。自分ががんであることを知った主人公が、残されたわずかな時間をどう生きたかという物語なのだが、この時期、たとえ初期のがんでも不治の病と考えられていたことがよくわかる。要するに、がんというのは=死の宣告だったのだ。
 その後の医学の進歩により、がんは必ずしも不治の病ではなくなりつつある。が、しかし、弟のときもそうだったが、現在でもがんは死に至る可能性が極めて高い、死因の二人に一人はがんだといわれる難病である。薬局で薬を買ってきて飲んだら治るというような病気ではない。かつて読んでいたネットのがん闘病記「ひまわりママの脳腫瘍闘病記」「ハートは心臓にある」「おだやかな日々が続きますように」「進め!一人暮らし闘病記」「四人部屋」「マコの闘病日記」などのブログ主はすでに亡くなっている。そんな、がんの告知をうければ誰もが絶望的な気分にもなるが、もちろん治って社会復帰する人間も珍しくはない。 実は私も、その一人だ。室生犀星の『われはうたへどもやぶれかぶれ』のようにはとても書けないが、まあできるだけ暗くなり過ぎないよう、読み終わったら少しは元気が出るように、自身の「闘病記」を書いてみることにしよう。

★発端
 2005年7月のことだった。
 右足の付け根のちょっとした違和感に気づいた。直感的におできだろうと近くの薬局で薬を買い一週間ほど塗ってみた。が効果はない。痛みはなかったが、大きくなると嫌なので、仕方なく病院へ行くことにした。
「おできですね」
 触診した40歳くらいの医者は即座にそう断言した。
「切りましょう」
 げっ! やっぱり、と思ったが促されるままに後ろにあるベッドにうつ伏せになると、いきなり麻酔注射。続いて何かごりごりやっている軽い痛みが感じられたが、ものの5分ほどで、
「はい、終わりました」
 看護士が慣れた手つきで包帯を巻いてくれた。医者からは、
「切開したところから『悪い汁』を出す必要があり、汁が出る前に切開した所が塞がってしまうといけないのでガーゼを入れてあります。ガーゼの取り替えに、まあ一週間くらいは病院に通ってください。お風呂はしばらくダメです」
 と言われて帰宅。ところが、一週間経っても二週間経っても「悪い汁」は止まらない。この病院に限らないのだが、町の病院のほとんどは各科に専任の先生がいるわけではない。月曜は〇〇大学の、火曜日は✕✕病院の先生がやって来るという感じで、毎日担当の先生が変わるのである。ある意味責任もないわけで、病院でガーゼを機械的に交換するだけの日々が続いた。さすがに8月も末になったとき、女子医大から来ている先生から、
「どうもしこりの感じがおかしいので、組織検査をしたい」
 と言われた。組織検査と言われてもこちらは何のことかわからないので、「はい」と答えたところ、さっそく「おでき」を切られたベッドでその組織検査なるものが始まった。いや、その痛いのなんのって、終わった時にはもう汗だく。しかし、一週間後に聞かされた検査結果は、問題なし。再びガーゼを取り換えるだけの日々が続き、気がつけば9月になっていた。女子医大の先生が、
「もう一度、組織検査させてくれませんか」
 と言い出したのはそのころだった。あの痛さを思うと「勘弁してほしいなぁ」とは思うものの、医者には逆らえない。痛い思いをした一週間後、結果を聞きに行くと先生の表情が厳しい。「何かあったな」と、ピンときた。だから、「悪性らしき細胞が見つかった」と言われてもそれほどは驚かなかった。が、まだまだ先のことだと思っていた「死」が急に現実として目の前に現れた瞬間だった。
「この病院では無理ですのでどこか希望する病院はありますか?」
 と訊かれてもどこの病院がいいのか全くわからない。ただ名前を知っているというだけで、
「国立がんセンターでお願いします」
 紹介状を書いてもらって帰宅すると、まず妻に現状を報告した。続いて国立がんセンターに電話をすると、「どこの科がよろしいでしょう?」と訊かれたが、胃がんとか肺がんとかというものでもないので何科なのかわからない。 症状を説明すると「整形外科」につないでくれた。もう一度説明し、来てくれと言われたのはその二週間ほど後。 実際に入院できたのはさらに間が空いて10月になっていた。町の病院に最初に行ったときからは3か月も経った時のこと。国立がんセンターには全国から病院の紹介状を持ったがん患者が集まって来るので、すぐに入院というわけにはいかないのだ。
 それにしても、病院へ行き始めてから2か月も見当違いの治療をしていたわけで、世に万とある「がん闘病ブログ」を読むと、予後不良となるケースの多くがこの見当違い(初診での未発見、誤診)によるものであることがわかる。私の場合、最初の切開はいきなり医者の後ろにあるベッドで注射を一本射ってぐりぐりと掘り出すというある意味乱暴なものだったわけで、この時、がん細胞が飛び散り体内に拡散しなかったのはある意味奇跡だ。なんだかおかしいと思ったらセカンドオピニオンを受けることを強くお勧めしたい。世の中にはセカンドオピニオンを受けたいのでカルテを出してくれと言うと、嫌な顔をしたり、カルテを出し渋る医者もいるようだが、カルテを出すのを拒否するのは法律違反。プライドだけが高いそんな医者はどうせろくでもない医者なので即刻転院することをお勧めしたい。その意味でも、女子医大の先生には感謝しかない。

★入院
 10月になりようやく築地の国立がん研究センターに入院できた。着替え、寝間着、歯ブラシなどの生活用品と保険証、小銭(病院内に売店、食堂などがある)等を持って入院。ともかく入院してみないと何が必要なのかもわからないので、必要なものがあれば家族に届けてもらうことにして、荷物はできるだけ少なくした。ともかく、生まれて初めての入院なのでわからないことばかりなのだ。
 午後に入院し、いきなり手術ということもないだろうからしばらくのんびりできるのかなと思っていたら、これが大まちがい。入院当日、病室(四人部屋)に通され落ち着く暇もなくサインをする書類がいっぱい。別に拒否する理由もないのでざっと目を通して次々とサイン。続いて、PET検査(微量の放射能を体内に入れ、がんの転移などを調べる検査。終了後ただちに水500㏄を飲まされる)、MRI、CTスキャン、心電図、肺機能検査、血液検査、尿検査・・・。これらの検査を次々とこなし、肉体的にも精神的にもへろへろ。転移がなければいいがと思いながらベッドに戻る。
 夕方になって主治医となる先生が挨拶にきた。翌日は生体検査(全身麻酔で生きた組織を取り出してがんの種類を特定するための手術)。いってみればここまでが予備調査。結果が出るまで外泊許可をもらって一旦帰宅した(退院ではなく外泊なので入院時に持って来た荷物等はそのまま)。国立がんセンターでは、治療に差し障りがない限り申請すれば外泊、外出の許可がおりる。
 抗がん剤での治療は孤独な闘いだ。
 食欲もなく誰とも話すことなく一日中ベッドに寝たまま点滴を受けていると、ついつい自分という人間が社会から切り離されてしまっているような精神状態に陥ってしまう。そんなとき家族や知人が面会に来てくれると、自分の周りにはまだこれだけの人がいる、がんばって治そうという気持ちになれるのだ。後に、この雑誌の同人である越智さんが知り合いを見舞いに上京したおり、がんセンターまで案内したことがあるが、その友人も力づけられたことだと思う。
 もう一つ、がん患者は入院するとき、もう二度とこの家には帰って来れないのではないかという不安とともに入院する者が多いと思う。少なくとも私はそうだった。その意味でも、 外泊、外出というのは患者のメンタル面の上でもすぐれた制度だと思う。
                               (明日に続きます)


夕方、薬が無くなったので今月初めての整形外科へ行った。ずいぶん患者が少なくなっていて、受付では額にピッと当てられた、36.5度だったので診察が受けられた。やっぱり理学療法士さんのマッサージを受けると軽くなる。
しかし、2週間なんてケチなことは言わずに次の投薬までの4週間、通院なしで注意して何とか頑張ってみよう。


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