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名古屋市守山区大森 [だるま広報]

4月29日、今日も外出は畑の水やりと食品の買い出しのみ。

昨日の早朝、畑にいたとき家人さんからのスマホが鳴った。救急車が走っているので、もしかして私ではないかとの安否確認であった。私が見たのは消防車だったのだが。
今日、買い出しから戻った時、お隣さんからお知らせがあった。すぐ近くの若い奥様が突然死されたものだったようだ。4,5日前、ご夫婦とお子さん2人とフレンチブルドッグで散歩されているところを見かけて挨拶したばかりだった。ワンちゃんは以前写真を撮ってあげて、発行されたその本を差し上げたこともあった。余計なことかもしれないが、今後どうされるのかちょっと心配。


先日アップした小品イチョウの新芽、イチョウの葉形がしっかりしてきた。
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花台(白樺の木だったと思う)の焼き印、読めますかな?


昨日の就床前のこと、だるまさんからメールが届いているのに気づいた。1400字あまりの文が2本添付されていた。やっぱりコロナで外へ出られず、綴ったもののようだ。
名古屋市守山区大森あたりは、学生時代しょっちゅう通っていたので懐かしい。しかし、こんなにも由緒あるお寺があるとは全くも知らなかったし、若かったので興味もなかったのだろう。
あ、東谷六兵衛さんはだるまさんのペネーム、達磨さんやだるまさんとの使い分けは何なのだろうとふと思う。


   守山そぞろ歩き⑴ 大森篇
      『義経千本桜 狐忠信』ゆかりの法輪寺

                     東谷山六兵衛

 瀬戸街道の八剱交差点から少し北に入ったところに法輪寺の大屋根が見える。
 この辺りでは美味いと評判の「知多海」という料理屋の角を西に入ったところに山門があり、周りは民家が立ち並んでいる。比較的新しいつくりの山門の入口には「山門禁葷酒」と、刻まれた石柱が建てられている。酔っ払いと軍隊は立ち入るべからず、という意味なのだろうか。酔っ払いはともかく、葷も入るべからずとは、この寺の矜持が感じられる。
 そのすぐ右手奥に西国三十三か所由来の三十三の観音菩薩石像が鎮座まして、優しく微笑みかけて私を出迎えてくれている。
 山門前に掲げられている法輪寺由緒によるとこの寺の創建は貞観二年(八六〇)にまで遡るという。平安時代初期である。山門には「佛日山」という山号の額が掲げられている。
 山門をくぐると正面に本堂、右手には「ほうりん聖観世音」と書かれた高さ五メートル程の観音様が聳え立っている。
 私の関心のあった佐藤嗣信・忠信兄弟とその母堂の墓は山門を入って左側にあった。母を真ん中にして右手に嗣信、左手に忠信の小さな供養塔がひっそりと佇んでいる。
 佐藤嗣信・忠信兄弟とは源義経が頼朝の平家討伐の挙兵を知って、奥州平泉から馳せ参じた時、奥州の藤原秀衡が武蔵坊弁慶とともに義経に従わせた奥州きっての荒武者である。
 供養塔傍らの説明によれば義経の身代わりになって兄嗣信は屋島で、弟忠信は京都で戦死したと刻まれている。従者が二人の戦死を母に伝えるために奥州に向かう途中、正宗庵(法輪寺の旧名、当時はここより南の元郷にあった)という尼寺で病気療養中の母に偶然出会い、遺骨と遺髪を渡した。母は痛く悲しみこの正宗庵に懇ろに弔った。村人たちの悲しみも深く、次の年の正月に門松を立てるのを止めた。以後大森では正月に門松を立てない風習になったと語り伝えられている。
『義経千本桜』とは人形浄瑠璃、歌舞伎の演目の一つで義経の吉野への都落ちと実は生き延びていた平家の落人たちの悲劇を描いたストーリーである。この佐藤忠信は『義経千本桜 道行初音旅 吉野山』に義経に命ぜられ、静御前を守る役柄として登場する。
 しかし静御前を守る忠信、実は狐の化身である。静御前の持つ「初音の鼓」はこの子狐の両親の皮で作られたものであり、この子狐は愛おしい両親につれ添いたくて静御前を守っていたのである。次の段『河連法眼館』では本物の忠信から静御前の打つ鼓に合わせて狐(源九郎狐)に変身し、早変わり、欄干渡りなどこの歌舞伎で一番の見せ場となっている。この子狐の親子の情の深さにほだされた義経より忠信に成り代わっていたことを許され、初音の鼓を与えられる。その恩に報いて忠信とともに押し寄せる敵と大立ち回りを演じ義経の危機を救う、という幕切れである。
 義経は狐の世界でさえ肉親の情があるのに兄弟同士で殺し合う人間の世界に無常を感じていたのであろう。
 話は少しそれたが、歌舞伎の『義経千本桜』の華やかさとは似つかわしくないこの大森の地にひっそりと佐藤兄弟と母堂の菩提が弔われている寺を発見できたのはそぞろ歩きのおかげである。
 大森は古い寺社仏閣の多い街である。
 そぞろ歩きもまんざら悪いものではない。
 母親に寄り添うように建つ三つの供養塔に手を合わせた。「コン」というかすかな鳴き声を聞いたのは空耳だったのだろうか。
                     (縦書き原稿なので数字は漢数字になっています)

瀬戸街道とは、名古屋市東区から守山区、尾張旭市を経由して瀬戸物と将棋の藤井聡太さんで有名な瀬戸市を結ぶ通称で、県道61号線。
約45年前、吉川英治の『新平家物語』を1年かけて読んだのだが、もちろん義経は登場していた。佐藤嗣信・忠信兄弟については定かなか記憶がないので今夜就寝前に辿ってみよう。いずれにしてもこのような歴史上の人物に関してこんなにも身近な所にあったのかと、今頃に知った。
長く生きるということは、こういうこともあるのでもっと生きねばと思う一方、コロナが終息したらぜひ法輪寺で手を合わせようと思う。
やっぱり桜の季節がいいのかな。



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