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元気が出る? 「がん闘病記」その③ [日記・雑感]

4月26日、曇り時々晴れだと私、家人さんは晴れ時々曇りでしたと譲らない。
昨夜のこと、PCのメールを開いたらだるまさんから2本のメールが届いていた。
最初の1本は写真だけだったのだが、活けられている花を見ると葉姿からオダマキのように思われた。
2本目のメールには、「さゑ姉さんからラインで送られてきました。花は『みやまおだまき』だそうです。花瓶は確か3年ぐらい前に作った釉薬は瀬戸黒です。花をいけると花瓶もうまく見えますね」と、連絡文があった。

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だるまさんは今では鶴首の花瓶を作ることができる腕前なので、3年前の作品に間違いないと思う。私は黒織部は時々利用したのだが瀬戸黒は知らない。よく似た雰囲気がする。
「さゑ姉」さんは俳号だろう、同窓生であこがれの人である。だるまさんが俳句と陶芸とお花で繋がっているのはnice! だと思う。

さて、同人誌『山波』194号の花田吾一さんの「がん闘病記」、いよいよ最終回の3323字。
花田さんが頑張ったように、皆がコロナにも負けることなく元気に生きていきたい。
あ、そうそう花田さんも、だるまさん、さゑ姉さんと同窓生だったんだ。
もちろん私も、蛇足でしたかな。


★手術
 年が明けると、いよいよ手術。
「どちらを先にします?」
 と訊かれ、私は子どもの手術の結果を知りたいので、子どもが17日、一週間後の24日に私が手術を受けることになった。国立がんセンターではいろいろな事例のがんを扱っているが、親子が同時期に入院し、同時期に手術を受けるということは、あまりないのではないのか。大変な事態なのだが、つい誰かに自慢したくなってしまうのは、すでに精神状態がおかしくなっているのか? とまれ、子どもの手術は午前9時に始まり午後6時に無事終了。
(正確に記すと、子どもの腫瘍はちょうど一年経った頃に再発してしまったのだが、再手術が行われ完治した)    
さて、次は私の番だ。
「やってみなければわからない」
 と言われた抗がん剤は運良く効いていて、腫瘍は入院当初の四分の一ほどに小さくなっていた。包帯の上からそっと触ってみても、しこりはほとんど感じられない。よしよしこれで簡単な手術で済むのかなと楽観していたのだが、これがオーマチガイ。腫瘍は2㎝ほどに縮小しているのだが取り残すと再発の恐れがあるためその周り5㎝(要するに直径12㎝!)をざっくりと切り取ると告げられた。足の切断という事態に至らなかったのはまあ幸いと言えば幸いだが、甘かった。怪しい部分をごっそりと切り取った跡には、「皮弁移植」という方法なんだそうで、切除した部分には足の膝上の後ろ側からこれまた筋肉ごとごっそり切り取って移植するとの説明があった(手術前日の妻を交えての説明)。
 手術時間の予定は約6時間。
 手術室に入ったのが午前9時ちょっと前で、その後は全身麻酔で全く意識なし。大きな声で名前を呼ばれて目覚めた。あ、終わったのか・・・と思いながら、最初に訊いたのが、
「今何時ですか?」
 午後の3時過ぎだった。その次に言ったのが、
「おしっこがしたいんですが」
「そのまましてください」
 まだ意識が半分-ぼーっとしていたのだろう。尿管を通して膀胱までチューブが差し込まれていることに全く気がつかなかったのだ。

★術後
 手術した日は集中治療室で一晩過ごした。よくドラマなどで患者が麻酔がきれたとたん痛くて叫んだり泣いたりするシーンがあるが、手術前に入れた麻酔薬のおかげか痛みは全くなかった(硬膜外麻酔といい、脊髄の近くに刺したチューブの先に薬の入った球体があり、そこから少しずつ痛み止めの薬が流れ込むというもの)。さすがプロの業と、これまた変なところで感心した。
 集中治療室では体はほとんど動かせない状態で、ひたすら眠りたいのだが長時間動かないと血流が悪くなるとかで一時間おきに看護士さんが来て無理矢理体を動かされるのであまり眠れず。翌日別に異常はないということで無事一般病棟へ。体からは5~6本チューブが出たまま。そして酸素マスク。医療ドラマでよくある光景そのままと言っていい。食欲は全くなし。 看護士から栄養分、水分は点滴で落としているから無理する必用はないと言われる。
 数日後、回診してきた医師がチューブの先についている袋をチェックした後、
医師「そろそろ尿管のチューブを抜きましょうかね」
私「抜くのはいいんですが、こんなにいろいろ(チューブを)つけているとトイレにも行きづらいのですが」
医師「そうですね。じゃあ、全部抜いちゃいましょう」
私「・・・・・」
 国立がんセンターでは、予想外のことがよく起こる。予想外と言えば、その翌日だったかに手術跡がほぼ塞がったということで、これまた何の予告もなしに抜糸となった。抜糸といっても米倉涼子主演の「ドクターX」を見たことのある人ならわかると思うが最近の手術の切り口は糸ではなくホッチキスのようなものでパチンパチンと止める。それをいきなりというか心の準備もできていないのにグイグイと引き抜かれたのだ。もちろん麻酔などない。痛いの痛くないの(どっちなんだ?)。長期入院で最も痛みを感じたのがこの瞬間だった。それでも体調は日々よくなってきていたので、回診してきた医師に、
私「そろそろ外泊許可出ませんですか?」
と、訊いたところ、
医師「では退院しましょう」
 と、いきなり言われて、またびっくり。手術後10日ほどであっさり退院ということにあいなった。先に退院している子どもも交え久しぶりに親子3人揃っての我が家が復活した。
 しかし、治療は、これで終ったわけではない。私には「念のため」の抗がん剤がまだ一クール残っている。まあ、そうはいっても、最大の懸案だった手術も無事終わり、抗がん剤もこれで最後だと思うと気も軽く鼻歌の一つも歌いたくなるのだ。1週間ほどしてがんセンターに舞い戻ってきた私の足取りは軽かった。ところが、そこでまたまた意外なことを告げられたのだ。
医師「一応、標準治療にのっとってやりたいので、抗がん剤治療は後2回やることになります」
私「えっ、1回のはずでは?」
医師「2回です」
 医師は、そんなこと言ってないもんねーという顔をして、ほとんど命令。もう終りだと思っていたものが終りではなかったというショックは大きい。100m競走でゴールが見えてきたと思った瞬間、もう100mあると言われたようなものだ。私は、咄嗟にこんな提案をしてみた。
私「今まではアドリアマイシンとイフォマイドで2日、 イフォマイドのみが3日で5日だったわけですが、アドリアマイシンとイフォマイドで1日、イフォマイドのみが2日の3日というのではダメでしょうか?」    
 もちろん、即時却下。
泣く子と主治医には勝てない。結局、以前と同じ抗がん剤治療を2クール。ただ、手術で腫瘍を除去した効果が出ているのか術前と比べて副作用は軽かったように思う。というようなことがあって、無事退院となったのはがんセンター入院の半年後のことだった。

★退院後
 がんで怖いのは再発である。
 入院したとき同部屋だったA君は夏に手術して早くも秋に再発だったそうで、さすがに暗い顔をしていた。再発したため九州から上京して来た人は、いい結果が聞けなかったのか、しょんぼりと挨拶の言葉もなく帰って行った。私も、退院後当然のように定期的な検診を受けることになった。それでも再発のリスクは術後時間が経つほど低くなるそうで、退院当初毎週だった検診の間隔が、1か月、3か月、半年と長くなり、現在は年に一度がんセンターの検診を受けている。たいてい毎年5月の半ばだが、この日は私だけでなく子どもも検診を受け、問題ないことを確認すると家族揃ってがんセンター近くのファミレスで食事をするのが「年課」になっている。
 入院したときにはまだ50代だった私もいつの間にか古稀を過ぎてしまった。
 この先がんの再発がなかったとしても残されている時間はそう多くはないだろう。映画 『生きる』の主人公は残された時間の中で己の生きる意味を問い、 生きぬいた。ドストエフ スキーの『白痴』の主人公ムイシュキン侯爵は死刑執行直前の人間の心境をこう語っている。
「もし死ななかったらどうだろう? もし命を取りとめたらどうだろう? それは無限だ! しかも、その無限の時がすっかりおれのものになるんだ! そうしたら、おれは一つ一つの瞬間を100年に延ばして、一物たりともいたずらに失わないようにする。そして、おのおのの瞬間をいちいち算盤で勘定して、どんな物だって空費しやしない!」(米川正夫訳)
 翻って自分の現実をみると、ただただ怠惰な生活を続けているだけのようにも思える。せっかく、がんセンターの医師や看護士、家族、友人に支えられ与えてもらった命である。こんなことでいいのだろうか、後悔はないのかと考え込んでしまうこともあるのだが、なかなか映画や小説のようにはいかないのが現実である。 ちなみに、『白痴』では、死刑を免れたその人物は、
「まるっきり違った生活をして、多くの時間を空費したそうです」
 と、されている。人生には「余生」などというものはないと私も思うのだが、まあ、これも自分の人生なんだと、自分に言い聞かせるしかない。
 生きているだけで意味があり、価値があるのだ、と。
 チャップリンも『ライムライト』の中で、こう言っている。
「There’s something just as inevitable as death. And that's life.(死と同じように避けられないことがある。生きることだ)」
 さてと、もう少し生きてみるぞ!


今月初め、昨秋採っておいた黄花おだまきの種を播いたのだがまだ発芽しない。タイミングを間違えているのかもしれないのだが、発芽するまで水やりを続けようと思っている。
今朝も菜園行きは自粛して、自宅で初挑戦の「スクナ(宿儺)カボチャ」の種を播いた。
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岐阜県高山市の甘い特産カボチャ、多分成功するだろうと思う。


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