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無水調理器応用編 [日記・雑感]

6月17日、7時から8時半畑作業、ズッキーニは変化なくテーピング効果の確認は順延。
新たにピーマン2苗を定植してひたすら水やりと収穫。

本日の収穫。
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今の旬はインゲン豆。

帰宅して家人さんが朝食の準備中に、福ちゃんが目を付けている。
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最近の福ちゃんは、猫用食事に飽きてしまって新しもの、新しいものを追い求めているのだが、人間の食べ物には手が出ない。


さて、無水調理器でレシピに従って煮物、茹でものを中心に体験してきたのだが、今日は完全自前のレシピに挑戦。
先月の釣行でgetして冷凍しておいた黒鯛の頭部。
蒸してあんかけでいただこうかと、解凍開始。
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厚さが6センチもあるので自然解凍で3時間を要した。

無水調理鍋の底に白菜とキャベツを各2枚敷いて黒鯛を置く。白ワイン50ccを投入して中火で約5分。蒸気が上がったので弱火にした。
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10分経過したところで鯛の上下を変えて、さらに10分して蒸し上がり。

蒸している間に、ノンオイルフライパンで、野菜をわずかなサラダ油に醤油大さじ1.5、砂糖大さじ1、塩少し、酢大さじ1.5で炒める。
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最後に片栗粉大さじ1に水大さじ1を投入し、あんかけにしたのだが。

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片栗粉が濃すぎて固まってしまった。炒めるときにも水を入れるべきだった。
鯛の蒸し加減はちょうど良かったのだが、最後の片栗粉で失敗感(もっと薄く溶くべき)が大きい。
家人さんの箸もすすまず残念。
料理は、ほんと難しい。

昨年、同人誌「山波」に投稿した原稿をちょっとだけ修正した。すでにアップしていたら失礼、なにせ忘れっぽいので自信がないのが寂しい。


    男の料理100選
        ~70代を生きる⑤~
         
                       越 智 大 二

男子厨房に入ってしまった。
10年ほど前だったか一度だけであるが市の広報に載っていた「男の料理教室」に参加したことがある。確か品目は親子丼であったと記憶している。てっきり参加者一人ひとりが、各自で最初から最後まで親子丼を完成させるものだと思っていた。
それはグループごとで、具材を洗ってカットする人、調味料を合わせてだし汁を作る人、それらを加えて煮立てる人、と分業であったのだ。挙句の果て講師であった老夫婦が教え方について口喧嘩をしているではないか。
人前での老夫婦の口喧嘩はベテラン夫婦にはよくあることなので、むしろ可笑しかったのだが、分業で作った料理には何の達成感もないし失敗感もない味気ないものであった。かといって料理学校へ通い基本から勉強しようとするほどの意欲はなく、ちょっとやってみたいなあ、と思った程度だった。
学生時代も社会人になってからも両親の下で生活していた。退職して結婚した家内は、立派な専業主婦になっていたので、私が料理する機会はなかったし、自分が料理をするなどという考えは端からなかった。
男は外で働き女は内で家事をするという、そんな頭の固い時代に生きていたわけだ。
少し時代の変化を感じ始めたのは、単身で赴任する人が多くなってきた昭和55年頃であっただろうか。
ある時、単身赴任してきた酒の強い部長のスナックでの料理話には、妙な共感を覚えたものだ。
私だけの印象かもしれないが、多くの酒飲みは、家でもツマミになるような料理を出来立ての温かいうちに何種類かいただき、最後は少量のごはんで済ます傾向にあるように思っている。
まるで小料理屋か居酒屋風なのであるが、毎日そういったお店へ行くわけにはいくまい。その部長は社宅のキッチンで、帰宅後にまず簡単な一品を作って、それをシンクのカウンター部に置いたまま、飲みながら食べながら、次に少し手の込んだ料理に着手するという手順で、何品もの自前料理を楽しんでいたらしい。テーブルに料理を並べる手間と時間が節約できて、常に出来立てのものがいただけ、食べた後の食器は、すぐ横のシンクへ入れておけば、食後の洗いものも楽である、と話していた。
実に合理的であり、その話にひどく感心したものであった。とはいっても、自分の転勤時は家内も帯同してくれるはずだったので、自分で料理をするということなどの思いは全くなかった。

退職して11年目の秋、色々な趣味中心の生活にも慣れたというか、飽きたというか、ちょっと暇つぶしのつもりで新たに料理をしてみようかと思い立った。数年前から友人らが「料理やっているよ」と云う情報の影響もあったのかもしれない。
さらに、インターネットを開いてみればレシピはいくつでも見られる。cookpadやRakutenレシピなどは最たるものである。
私の「男の料理」オープニングは、平成29年10月12日、「メバルの煮つけ」「枝豆の塩ゆで」「里芋の煮っころがし」だった。昔から釣り好きで魚料理好き、そのうえ酒好きときているので、それらしいメニューである。
調味料も正確に量り火加減などもそれぞれのレシピに忠実に従って作りあげた。さらに、箸を運びながら、自分と家内の評価を100点満点で記録していくことにした。「メバルの煮つけ」は、私も家内も80点だったので初めてにしてはまずまずであろう。「枝豆の塩ゆで」、私が90点、家内が70点と差がついた。これは料理の問題ではなく好みの問題だ。私はよく茹であがって塩も効いているものを美味しいと思う。家内は固めで塩は振った程度のものを好んでいる。つまり、生意気にちょっとレシピから外してみたのであった。
嬉しいのは里芋の煮つけに家内が私よりも10点も高い85点をつけたことである。ただし、二日後に再び作った里芋の煮っころがしは、私が50点で家内が45点と、どーんと下がっている。わずか二日の間に食材が劣化したとも考えられないので、早くも調子に乗ってしまって目分量の味付けをしたことが原因なのであろう。再々挑戦した10月30日には家内から80点を得たので、料理として概ね確立したものだろうと自負している。
「男の料理」を始めて二日目の10月13日は、素人的にはなんだか聞きなれない「牛肉と白ネギのオイスターソース炒め」なんて作っている。醤油・砂糖・酒を合わせて、牛のもも肉を10分ほど漬け込んで下味をつけ、片栗粉をまぶしてフライパンで炒める。別に、炒めた斜め切りの白ネギを加えてオイスターソースを回しかけして味を整える。品書きからイメージするほど難しくはなかったので私80点、家内75点と好評であった。
 こうして作り続けた10月の二十日間で、概ね70点をキープできたのは、「小松菜の煮びたし」「野菜たっぷりセイゴの蒸し煮」「基本の吸い物」などであるが、「豆腐の味噌汁」「フライパンで銀杏串」「わさびてんこ盛り温奴」になると10点下がる。さらに「大豆とソーセージのトマト煮込み」になると50点だ。要するに得意も不得意料理も、その傾向が見分けられない。
そして、家内がつけた最低点は30点の「焼きたらこ」であった。単にたらこを焼くだけなのだが、私はこれに80点評価をしている。まさに好き嫌い評価がうかがえる。
さらに、家内の最高点評価は85点が二回なのだが、私の評価には90点が三回もある。自分に甘いのかな? 料理は誰のためにするものなのだろうかなどと考えてしまう。
11月になってからは、評価についてのコメントも記録することにした。11月4日、「鶏挽肉と砂肝にササミ・胸肉を加えたつくねバーグ」、私65点、家内55点と高くない。(野菜も肉も)みじん切りはもっと細かくすることと記録してある。当然であろう。包丁使いが習練されていないから細かく切るのは難しいし遅い。
11月7日、釣ってきた「ベラの煮つけ」と「ハゼ・カサゴのから揚げ」、評価点の記載はなく、ベラの煮つけには大きい鍋を使用すること、から揚げは同じ魚の一種類ずつのほうが良いと注意書き。魚はゆったりと鍋に敷いて煮るのが基本なのだ。また、別種の小魚を一緒に揚げると、味が移ってしまってそれぞれの特性が失われるように思ったのだろう。
ちょっと話がそれるが、ここでハゼの名誉のために、少しハゼについて記しておこう。ハゼは幼い子どもでも釣れるとか、何にでもすぐに飛びつくなどと、どちらかというと軽く見られているようだが、ハゼのレシピを見てみると、どのレシピにも、まずは「釣って来よう」から始まる。
つまり、スーパーや魚市場でも入手することがかなり難しい貴重な魚なのだ。また、刺身に至っては高級料亭でしか食べられない高級魚とされている。私は釣ることも好きなのだが、夏の小さいものはから揚げ、晩夏の中くらいのものは塩焼きや煮つけ、晩秋には正月用に甘露煮、初冬にたまに釣れる大きいものは家内の手によって刺身にしてもらって、こんなに嬉しい魚はないと思っている。
さて、11月8日の「あっさり仕立ての牛タンステーキ」、両者とも80点、goodと評価が一致していたのは、nice! だと思う。
11月14日、酷いのがある。「プロ直伝!茶碗蒸し」、私50点、家内30点。水は900ccにする、卵は3個にする、油揚げは入れないと注意書きがしてあるのだが、その後2回挑戦しても失敗。卵の固まり具合が上手くできず、好物なのだがもう諦めた。茶碗蒸しは卵の濃淡と固まり具合が勝負だと知った。若いころは家内がよく作ってくれたが、褒めたことがなかったので、もう数十年も作ってくれない。今になって作ってくれない原因が分かったような気がする。
まあ、遊びながらであるが、この年の12月25日まで「男の料理」を続けたところ、家内の90点評価はやっぱり一度もなかった。一方、私自身の評価では11月以降も90点が3回もあったのだが・・・。
年が変わって料理から離れてしまったのは、年末年始で何かと外食とかお節料理などが続いたからであろう。
再開したのは半年後の平成30年の夏、家庭菜園でキュウリやナスがたくさん採れ始めたので、野菜の漬物用としての糠床を作ったらどうかとの発想からだった。レシピを探してみると、これはまたA4サイズ7ページにわたるまでの大作レシピであった。肝心な糠については、月一回の通院帰りに寄る昼の食堂で無料配布していたので容易に調達できた。作ってみると意外と簡単で、夏野菜だけでなく初冬にかけては菜園で採れる聖護院カブや大根の糠漬けまでも利用できた。因みにこの糠床は、今もなお重宝している。
再開後の「男の料理」では、さすがに毎日作るということはなくなっているが、着実に得意 (家内から高い評価が相変わらず出ないので好みのというべきか)料理も増えてきた。「鯛の兜煮」「ブリ大根など」はレシピを確認することなく、調味料も目分量で味を整えることができるほどになっている。
意外にも家内に好評なのは、「豚スペアリブ」であった。これはレシピもたくさんあって色々アレンジしながら作っていた。どうやら自家製のトマトでケチャプを作り、蜂蜜を絡めて煮込むパターンで仕上げた味が一番合っているようだ。今では評価することはやめているが、これならば家内に訊ねてみても90点の返事が聞こえるくらいの食べっぷりになるだろうと、ひそかに期待している。
今年の夏は家庭菜園で初挑戦した、ピーナッツバターカボチャとミニ冬瓜が豊作であった。バターナッツカボチャの「スープ」と「ソテー」「冬瓜のカニカマあんかけ」などが、すっかり定着しただけでなく、子供のころから嫌いであった普通のカボチャまで食べられるようになって思わぬ効果も確認している。カボチャ料理を何度も作っているうちに、菜園で、「美味しいよ」と云われている「すくなカボチャ」なるものを知り、来年はそれを作ってみようと意気込んでいる始末である。すでに種を入手して保存している。
こうして挑戦してきた「男の料理」、プリントしたレシピを数えてみたら157種類あった。このうち自己満足でもいい得意料理が100種に達した時は、立派な主夫認定を受けられるのではないかと思っている。

ところで、延べ2年に及ぶ「男の料理」で、失敗したことが二つある。初めて間がない頃であったのだが、フライパンの油に火が入って一挙に燃え上がった。慌てて蓋をしたのだが炎が飛び出る。フライパンをシンクへ落とそうとして手が滑った。落っこちたフライパンでキッチンのマットに半円形の焼け跡が残った。
もう一つは、収穫した聖護院カブの千枚漬けを何度も作っていて、だいぶ慣れてきたある夜、カブをできる限り薄くしようと切っていたところ、最後の一刀で手が滑った。左手薬指の先端が真っ赤に染まる。思いのほか血が止まらなかったのは、コレステロール管理で血液をサラサラにする薬を服用していたからかもしれない。
やむなくかかった、かかりつけ医で二針縫合することになったのだが、一週間後の抜糸後にはまだ傷口は開いたままであった。結局完治までに1カ月もかかり指先にはいまだ縫合の跡が残っている。
この二つの跡は。男の勲章と思っていいのだろうか。
というのは、阿川佐和子さんと大塚宣夫精神神経科医の対談集『看る力』の中で、
大塚医師「家事は知的労働ですから、男性だってハマると結構面白いじゃないかな」
阿川「料理ができるようになると、長年ちょっと不満だった妻のメニューを、自分好みにアレンジできるようになって、本人にとってもよかったりして(笑)。妻の料理に注文をつけると怒られるからと、ずっと我慢してた人は特に、好きな味を思う存分追求できるようになる。そうなったら、そのうち妻に『今晩出かけるから、ご飯はつくれない』と言われても何ともなくなるぞ(笑)。」
と、「男の料理」で話がはずんでいたからだ。
この二人のセリフが、私の料理意識を変えたことは間違いない。
そして先日、愛知県知多半島の南端、師崎港で格闘のすえ釣りあげた55センチの超大物のヒラメも、自分の手で捌くことができた。その達成感は何ともいえない感動でもあった。
「男の料理」を始めてからは、釣った者の責任として魚の下処理にも自ら包丁を握っている。さらに、ヒラメの十日後には、47センチのウナギも釣った。さすがに、プロのように目打ちをして、サッと捌くことはできなかったものの、ヌルヌルと絡んでくる彼(?)に、動ずることなく捌くことができて、白焼きと「酒蒸しでふっくら! ウナギ丼」を十分楽しむことができた。
折しもテレビから「男子厨房に入ろう!」と、聞こえてきた。



考えてみると長い間、料理をしているものだと感慨深い。



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