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守山そぞろ歩き(8) [だるま広報]

6月23日未明少し降ったが晴れ、早朝から釣行。
だるまさんは名古屋の北東部方面を眺望し、私はど~んと南下して海を眺める。
釣果については明日の報告として、だるまさんのそぞろ歩きを紹介。


      守山そぞろ歩き⑻
            倶利伽羅不動寺から龍泉寺へ

                            東谷山六兵衛

今年は梅雨入りが早い。おまけに六月だというのにすでに30℃を超える日が続いていている。マスクを付けたそぞろ歩きは「三密」を避けるも「酸欠」で余計に暑苦しい。
梅雨の晴れ間に久し振りにそぞろ歩きに出かけた。三日続きの慈雨に濡れた遊歩道には蝸牛が我がもの顔でシャワーを浴びている。
遊歩道を歩くこと30分、倶利伽羅(くりから)不動寺の山門前に出る。
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この寺は吉根(きっこ 名古屋市守山区←wild注)の西のはずれの龍泉寺街道沿いにあり、バスの窓から眺めて何となく気になっていた寺院である。
艶やかな朱で彩られた本堂や八幡大菩薩が鎮座おわします八角堂は平成末期の建立とあり、一段と目を引く派手な寺院である。
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            (倶利伽羅不動寺の山号額)
この寺の本尊は倶利伽羅不動明王であり、衆生を禍いから救うため黒龍の巻き付いた宝剣を持ち、厄を睨み返している。差し詰めコロナウイルスも睨み返されているのだろう。
本堂の裏手に不動心の滝があり、名古屋唯一の修験道場であるという。ドラゴンズやグランパス選手もオフには滝行に来るそうだ。
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竜神堂の横の急な石段を這うようにして登ると奥の院がある。ここからの北の方を眺めると庄内川を跨いで春日井方面が一望できる。
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かつては百万ドルの夜景といわれていた。
この寺院の東隣に物珍しい造りのチベット佛教寺院(チャンバリン)が聳え立っている。
この寺院については改めて取材し、後日書いてみたいと思う。
寺院を出て七曲り坂を上ると龍泉寺が見えてくる。
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現在の七曲り坂は区画整理によって県道に一体化されユトリートバスが頻繁に走っている。以前はもう少し庄内川添いにあり欝蒼と生い繁った林の間をぐにゃぐにゃ曲がった細い道で物流、交通の難所であった。
したがって志段味の人達の生活は守山よりも春日井、尾張旭との結びつきが強く、往来も盛んであったようである。
龍泉寺は山号を松洞山と号し、区内では数少ない天台宗の寺である。尾張四観音の一つで本尊は馬頭観音である。
馬頭観音は伝教大師(最澄)が竜神のお告げを受け、龍の住む多々羅池(龍泉寺の北、現在の霊苑の辺りか)のほとりでお経を唱えると、龍が天に上ると同時に馬頭観音が現れたという。龍泉寺という名の所以である。
竜泉寺にも古くからの言い伝えがある。
承久の乱(1221)で後鳥羽上皇側について戦った山田郡の右(う)馬(まの)允(じょう)明長(あきなが)が重傷を負い、下津河(稲沢市下津)で北条側に捕らえられそうになり、思い余って自害をしようとすると幻の中で若い僧が「竜泉寺から来た。助けてやるから死ぬな」といった。その後捉えられて首を討たれそうになったが一心に念仏を唱えて助かったという(沙石集名古屋市教育委員会)。他の寺の言い伝えにもあるように山田郡の豪族たちは承久の乱に参戦し、負け戦の辛酸を舐めたと記録にある。
さらに小牧長久手の戦いでは龍泉寺城(当時)に布陣した秀吉は小幡城に布陣した家康と対峙したが家康は小牧城に引き上げ、講和を結び以後戦うことはなかった。
ここには円空仏が沢山保存されている。
庄内川を眺める霊苑を巡っていると偶然、お世話のなったNさん夫妻建立の「N家の墓」を見つけた。Nさんはご健在なのだろうか。
重く垂れこめた空から大粒の雨が降ってきた。暑苦しくも楽しいそぞろ歩きであった。


ドラゴンズの選手が滝行をしていたとは知らなかった。


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